そういち総研

世界史をベースに社会の知識をお届け。

貿易ネットワークの崩壊が鉄器時代をもたらした? 鉄器時代の開始という大革新はなぜ起こったのか

鉄器の発明・普及というのは、世界史における最大級の技術革新のひとつだろう。製鉄がいつ・どこで始まったのか、つまり「製鉄の起源」については、じつははっきりしない点が多く、ここでは立ち入らない。しかし、鉄器の「普及」がいつ・どこで始まったか、つまり「鉄器時代の開始」についてならば、ある程度わかっている。

だが「鉄器時代の開始」という世界史上の大変革に関して、考古学や歴史に特別な関心を持つ人以外は、ほとんど何も知らないのではないだろうか? つぎの質問に自信をもって答えられる人は、そんなにはいないはずだ。

世界で最初に鉄器の普及が始まったのは、いつ頃か?
ア. 今から1万年前 イ.5000年前 ウ.3000年前 エ.1500年前 オ.その他

どの地域でのことか?
ア. エジプト イ.メソポタミア(今のイラク) ウ.インド エ.中国 オ.その他

以下、この質問の答えを明らかにしていこう。そして「鉄器時代の開始」という大変革が、やや意外な経緯で起こったということについて述べる。

目 次

 

トップページ・このブログについて 

blog.souichisouken.com

 

西アジアの地理 
(そういちの著作『一気にわかる世界史』日本実業出版社より)イランの西側の濃い緑はメソポタミア

f:id:souichisan:20190919083032j:plain

 

鉄器以前

鉄以前の代表的な金属といえば、青銅である。青銅とは、一般には銅と錫(スズ)の合金のことだ。銅だけだと武器や刃物に用いるには強度が足りないのだが、銅に数%~10数%の錫を混ぜると、それが大きく改善される。青銅は、メソポタミアやエジプトで最古といわれる文明が栄えるようになった5000年前頃から、それらの文明地帯で広く用いられるようになった。人類が初めて手にした実用的な金属器は、青銅器だった。

鉄器以前の、青銅が実用的な金属を代表していた時代を、考古学では「青銅器時代」という。そして、世界で最初に青銅器時代に入ったのは、メソポタミアやエジプトとその周辺(今のイラン、シリア、トルコなど)――世界史の地域区分でいう「西アジア」だった。

しかし青銅は材料の鉱石、とくに錫の産地がかぎられているため、その生産量には限界があった。青銅器時代の西アジアの人びとは、遠隔地との貿易ネットワークを通じて貴重な資源である錫を手に入れていた。たとえばメソポタミアでは、銅も錫もとれなかったので、それらをもっぱら輸入に頼った。銅はイランの内陸部とアナトリア(今のトルコ)から、錫はイランのほか、さらに遠い内陸のアフガニスタンなどからも輸入したとみられる。

 

鉄は原材料の入手が容易

これに対し、鉄の原料である鉄鉱石は、銅や錫よりもはるかに多くの場所で採れる。素材としての硬さ・丈夫さなどの性能では、初期の鉄器が青銅器を明らかに上回っていたわけではない。鉄器が青銅器よりも大幅に優れていたのはまず、原材料の入手が容易なことだった。

ただし、鉄鉱石から鉄をつくりだすには、青銅よりも高い温度や、より複雑な工程を必要とした。つまり、鉄鉱石に含まれる酸化鉄から酸素を取り除いて鉄を取り出すには、1000数百度の高温を維持したうえで炭素量や不純物の混入に注意を払うなどして、一連の化学反応をコントロールしないといけない。青銅器をつくる技術と製鉄のあいだには、それなりの隔たりがあった。

 

ヒッタイト王国での製鉄技術の発展

そのような技術的な壁を乗り越えて、はじめて鉄の量産を一定のかたちで始めたのが、紀元前1500年頃のアナトリア(今のトルコ)で栄えたヒッタイト王国の人びとだった。ヒッタイト人は遠方から紀元前2000年頃にアナトリアにやって来て、原住民を征服して王国をつくった。どこからやってきたかははっきりしない。

製鉄の技術は、ヒッタイト人の独創ではない。ヒッタイト人に征服された原住民(ハッティという人びと)は一定の製鉄の技術を持っていた。アナトリアの複数の遺跡から紀元前2500~2000年頃の鉄器が出土している。ただし、アナトリア以外の地域で、より古い時代に製鉄が行われていた可能性もある。いずれにせよ製鉄の技術はヒッタイト王国のなかで発展していった。それが一定の実用化に達したのが、紀元前1500年頃だった。

このように、アナトリアでは初期の製鉄は紀元前2500~2000年頃には始まっていた。ただし、紀元前1500年頃までの鉄は、ほとんどが装身具や装飾品として用いられ、貴金属の扱いだった。しかしヒッタイト王国では紀元前1500年頃から、武器や利器(刃物)として鉄器が用いられることがある程度増えてきた。それがここでいう「鉄器の実用化」ということだ。

なお、製鉄の起源(いつ・どこで始まったのか)については諸説があり、まだ十分に明らかではない。ここでは立ち入らない。

ただし、ヒッタイトの製鉄技術は、まだまだ初歩的な状態だった。たとえば、鉄が刃物などとして十分な強度を持つためには、製鉄の燃料である木炭から鉄の表面に炭素を吸着させる「浸炭(しんたん)」という技術が必要だが、ヒッタイト人が浸炭を行った痕跡はみつかっていない。そして、ヒッタイトで鉄器がどの程度普及したかについては物証が少ない。ヒッタイトでも鉄器は希少なもので、その使用は限定的だった可能性が高い。

 

鉄器時代の到来

浸炭による鉄が登場するのは、紀元前1100年代以降のことである。この技術的な進歩によって、鉄器の実用化がさらにすすみ、鉄器時代の到来となった可能性もある。

また当初、すすんだ製鉄の技術はほぼヒッタイト限定であり、ヒッタイト人は製鉄の技術が国外にもれないように管理されたともいわれる。しかし近年は、そのような「管理」の実態はなかった、あるいは限定的だったとする見方が有力である。

そのヒッタイト王国は、紀元前1100年代初頭に滅びてしまった。そして、鉄器が広く普及して社会に大きな影響を与えるようになるのは、ヒッタイトの時代ではなく、それが滅びた紀元前1100年頃以降のことである。

その直前の紀元前1100年代(紀元前1200~1100頃)の時点では金属製の武器や道具というと、まだ青銅器のほうが一般的だった。先端的な地域でも、鉄器が青銅器よりも普及するようになるのは紀元前900年代以降とみられる。鉄器時代への移行には何百年という時間がかかった。こうしたことは、紀元前1100~900年代の東地中海地域(アナトリア、シリア・パレスティナ、エジプト、ギリシアなど)の遺跡でみつかった数千点の青銅器と鉄器をカウントした研究もあるので、かなりわかっている。

つまり、紀元前1100年~900年頃(紀元前1000年の前後)に、西アジアでは鉄器が普及して青銅器にとってかわったのである。これは、世界で最先端のできごとだった。紀元前1000年というのは、今から3000年前である。冒頭の質問の「鉄器時代はいつ始まったか」の答えは、ウ.ということだ。

インドや中国といったほかの文明地帯では、鉄器時代の到来は西アジアよりも何百年か遅れた。インドでは鉄器が初めて現れたのは紀元前1000年頃で、普及は紀元前800年頃からだった。中国では春秋時代の紀元前600~500年頃に鉄器が現われ、春秋末期から戦国時代にかけての時期(紀元前400年代)に普及するようになった。

 

なぜその時期に鉄器の普及が始まったのか

なぜ紀元前1000年頃の前後に、西アジアで鉄器の普及が始まったのか? それは十分には明らかではない。たしかに、紀元前1100年代初頭にヒッタイト王国が滅亡したことは、「ヒッタイト限定」だった製鉄技術が広まる後押しとなった可能性もあるだろう。

しかし、別の事情を重視する学者もいる。それは紀元前1100年代に西アジアの広い範囲を襲った「崩壊」現象といえるような混乱である。この時期に「海の民」といわれる周辺的な民族が地中海方面から西アジアに押し寄せて、さまざまな都市を荒らしまわったのだ。「海の民」は、複数の民族の集合体で、その民族系統や起源は明らかではない。一説によれば地中海西部が根拠地ではないかともいわれる。

とくにシリア(シリア・パレスティナ)では、海の民による被害は大きかった。当時のシリアではいくつもの都市国家が貿易などで栄えていたが、その多くが海の民の襲撃で急速に滅びていった。そして、紀元前1100年代には、西アジアのほかの地域でも、いくつかの主要国が滅亡または衰退している。ヒッタイト王国もそのひとつだ。その原因はわからない点も多いが、海の民による混乱と関係があるものとみられる。

西アジアにおいて、シリアの都市国家や、いくつもの要国が滅亡・衰退したことで、西アジアの貿易ネットワークは壊滅的なダメージを受けたにちがいない。だとすれば、西アジアのさまざまな場所で、青銅の原材料を入手するための遠隔地貿易のルートも途絶えてしまう。そこで、原材料の入手が難しくなった青銅のかわりに、近隣で原料を調達できる鉄器への以降がすすんだのではないか――そのような説も、近年は有力である。

昔は「鉄器が青銅器にとってかわったのは、鉄器が性能的にすぐれていたから」と考えられていたが、そうでもない、ということだ。鉄器は当初は青銅器の代用品として使われたのかもしれないのである。そしてその「代用品」は、じつはとてつもなく重要な発明だったのである。

鉄器の普及の先進地帯は、シリア・パレスティナ南部、アナトリア東部、キプロス島(アナトリア西部の南にある)などだった。これらは、紀元前1100年代の「崩壊」の時代に、とくに混乱が激しかった地域である。これらの地域は「海の民」それに対し、エジプトやメソポタミアといった混乱が比較的少なかった地域では、鉄器の普及はやや遅れた。エジプトやメソポタミアは従来の「中心」地域だったので、技術的に劣っていたわけではない。しかし青銅器時代的な旧い社会体制が温存されたため、従来の技術へのこだわりと、新しいものへの抵抗があったのだろう。

冒頭の質問の「鉄器時代の開始はどの地域でのことか?」ということだが、これは「オ.その他」が正解である。「ウ.インド」や「エ.中国」での鉄器時代の開始は、西アジアよりも遅れた。そして西アジアのなかでも、「ア.エジプト」や「イ.メソポタミア」は鉄器の普及の先進地帯ではなかった。鉄器の普及の先進地帯は、さきほど述べた「シリア・パレスティナ南部、アナトリア東部、キプロス島」という「その他」の地域なのである。


初期鉄器時代

なお、バビロニア(メソポタミア北部)に残された文献によれば、鉄の値段は紀元前500年代には銅や青銅よりも安くなっていた。つまり、数百年かけて鉄器が相当に普及するようになったのだ。

紀元前1100年頃以降の西アジアは、考古学の時代区分では「鉄器時代」とされる。紀元前4000~3000年頃から長く続いた、青銅器時代が終わったのである。紀元前1100~600年頃を、とくに「初期鉄器時代」ということもある。

鉄器の普及は、さまざまな技術や生産活動に影響をあたえた。前に述べたように、青銅器の生産量にはおおいに限界があったが、鉄器はその限界をうち破った。金属器を広く日常的に用いることは、鉄器の時代になって初めて可能になった。たとえば、農具のスキの刃先に金属(鉄)を使うことは、鉄器時代から一般的になったのである。青銅器時代には、金属(青銅)の主な用途は、高価な工芸品、武器、一部の工具に限定されていた。農具のような「あらっぽい」道具に貴重な青銅を用いるのは、考えにくいことだった。

鉄器時代に入って500~600年が経った頃(紀元前600~500年代)には、青銅器時代を超える文明が、はっきりと姿をあらわした。紀元前500年頃からのアケメネス朝ペルシアや古代ギリシアの文明は、その代表である。そのような文明の登場が、初期鉄器時代の終焉ということである。


石炭の事例・大きな革新がどのようにして生まれるか

社会的混乱によって入手困難になった重要な資源を、その代用品でまかなったことが、大きな技術革新をもたらした――鉄器時代の開始には、そのような経緯があったようだ。これに似たパターンによる大きな革新は、近代初頭にもあった。それは、イギリスのダービーによる、1709年のコークスの発明である。

コークスとは、石炭を蒸し焼きにしてイオウやリンなどの成分を取り除いた石炭のことだ。石炭という「燃える石」は、古代から知られていた。石炭は、従来の代表的な燃料である木炭よりも強い火力が得られるが、製鉄で長いあいだ燃料に用いられたのは木炭であり、石炭は用いられなかった。石炭に含まれるイオウやリンが、製鉄に良くない影響を与えるためである。しかし、コークスの発明によって、石炭を製鉄に用いることができるようになった。

コークスの発明の背景には、木炭の原料である木材の不足、つまり森林資源の枯渇ということがあった。1600年代~1700年頃のイギリスは、蒸気機関などによる産業革命の前夜にあたるが、すでにその頃にはさまざまな産業がさかんになって、鉄の生産も急速に増えていた。そして、製鉄のための燃料である木炭をつくるために、多くの森林を切り倒していった。その結果、イギリスの森林は壊滅的な状況となり、イギリスでは木材の多くをスゥエーデンなどからの輸入に頼るようになっていった。ダービーによるコークスの発明は、そうした「木材不足」の問題を解決するものだった。木炭の代用品として石炭を用いるための発明だったといってもいい。

しかし、その「代用品」である石炭の使用は、のちにきわめて重大な影響をもたらしたのである。強力な火力を持つ石炭という燃料がなければ、1700年代後半以降の、蒸気機関の実用化ということはあり得なかった。石炭という燃料は、産業革命を支えたのでる。

このように、資源の枯渇や社会的混乱などのなんらかの事情で重要な物資の入手が困難になり、その代用品をつくりだすことが重大な技術革新につながるケースというのは、今後の世界でもあり得るのではないだろうか。「代用品」へのニーズというのは、技術革新をうながす重要なファクターのひとつなのだ。鉄と石炭は、世界史におけるそのような「代用品」の代表的なものである。

 

参考文献

おもに、①津本営利「古代西アジアの鉄製品 ―銅から鉄へ―」西アジア考古学会『西アジア考古学』第5号、2004年 による。青銅の時代から鉄の時代への移行についての近年の研究動向をまとめたもの。

 

紀元前1100年代の「海の民」による西アジアの貿易ネットワークや「崩壊」現象については、当ブログのつぎの記事を。