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感染症は、文明に必然的に伴う副作用である。それを新型コロナを通じて再認識した。

「感染症とは人間にとって何か」ということを、新型コロナの問題に直面している今、考えてみたいと思います。私の場合は、それを世界史を通して考える、ということになります。

 

目 次

 

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感染症は文明の副作用

まず、感染症とは、文明もしくは文明的な生活に必然的に伴う副作用だと考えるべきではないでしょうか。

では、文明のどういう側面にかかわるのかというと、①多くの人間が密集して暮らす「都市」という要素、②限られた地域を超えた、遠く離れた地域とも貿易や戦争などで交流を持つこと、この2つです。つまり「①都市化」と「②遠隔地との交流」ということです。②は現代においては「グローバル化」ということになります。

この2つの要素は、激しい感染症の被害をもたらす前提になります。まず、①「大勢が密集して暮らす」という要素はわかりやすいと思います。②「遠隔地との交流」ということですが、遠隔地から、ある地域では未経験の感染症が持ち込まれたときには、持ち込まれた地域の人たちはその病気への免疫を持っていないので、ひどい被害が生じてしまうのです。

そして、その後持ち込まれた感染症がその土地に根をおろすと(病原体との接触機会が増えると)、人びとのあいだに免疫ができたり、病気への対処の仕方をある程度は経験的に身につけるなどして、その感染症の猛威は、最初に大流行したときほどではなくなっていくという傾向があります。ただし、何十年か以上経つうちに免疫や病気の記憶が薄れていくと、つまり「忘れた頃」になると、またその病気が、新しくやってきたときのような被害をもたらすということも、起こってきました。

 

都市文明以前・以後

以上2つの要素が存在しなかった都市文明以前にも、一定の感染症は存在していました。しかし、都市文明以後ほど深刻ではなかった。人間が少人数の集団単位で広い範囲に分散して暮らす、初期の狩猟採集社会では、まさにそうでした。

しかし、紀元前3000年頃から、今のイラクなどにあたるメソポタミア、そしてエジプトではじめて人口数万人単位の人間が集まって暮らす都市文明が成立し、周辺にその文明は広がっていきました。そのような都市では、さまざまな感染症が存在したようですが、その実態はほとんどわかっていません。古代エジプトのミイラには、天然痘や結核などの感染症の痕跡が残っていることがあります。

そして、5000~4000年前の時代であっても、これらの古い都市には、何百キロあるいは千キロ単位の遠方からさまざまな物資が運びこまれていました。つまり、さきほど述べた2つの文明の要素、つまり「①都市化」「②(その時代なりの)遠隔地との交流」がしっかりとあったわけです。

絶えず苦しんできた歴史

歴史を通じて、人類はたえず感染症に苦しんできました。紀元前430年頃のアテネでは、感染症(何の病気かはわかっていない)によって大きな被害があったといいます。これは、感染症の被害についての比較的詳しい記録としては、最古のものです。西暦100年代、200年代のローマ帝国でも、大規模な感染症の流行がありました(これも病名はわからない)。最も古い「ペスト」とわかる流行の記録は、540年代のビザンツ帝国(東ローマ帝国)でのものです。以後、700年代末までヨーロッパではペストの流行がくり返されました。

700年代末から数百年間は、ヨーロッパではペストは沈静化しました。しかし、1348~1350年には最も有名なペストの大流行が起こります。このときの流行でヨーロッパでは全人口の3分の1~2分の1が死亡したと推定されています。以後、ヨーロッパでは1700年頃まで10~15年周期でペストの流行がくり返されたのです。

ペストがおさまったあとは、1800年代にはたとえばコレラの蔓延ということがありました。コレラの最初の世界的流行は1817年のこと(インドが起原で、インドを植民地化したイギリス人から拡散)。1840年代、1850年代にはロンドンでコレラの流行が起こっています。また、1800年代末には中国でのペストの流行があり、世界に感染拡大する恐れがありましたが、どうにか封じ込めました。

そして1900年代になっても、甚大な被害をもたらす感染症の被害が、世界的な大流行というかたちで起こりました。第一次世界大戦末期の1918年から終戦後の1920年に起こった「スペイン風邪」(インフルエンザの一種)の大流行です。このときには、全世界で5000万人から8000万人、あるいは1億人が死亡したとみられています。

以上は、おもにヨーロッパ限定の話で、さまざまな感染症の歴史のほんの一部ということですが、それでも「感染症に人類が絶えず苦しんできた」ということを、いくらかでも伝えることができると思います。

 

「文明の進歩で克服できる」という見方を修正する必要がある

しかし、1800年代末以降、細菌学などの医学の発展や、公衆衛生のインフラ整備がすすんで、人類は感染症とある程度戦うことができるようになりました。たしかに1900年代(20世紀)は、それまで人類を苦しめてきた感染症に対し、人類が反撃を行ってかなりの成果をおさめた時代でした。

象徴的な出来事として、1970年代末には天然痘の撲滅ということがあったわけです(1977年ソマリアでの患者が最後)。これはワクチン接種を世界中で徹底的に行った成果でした。ほかにはたとえば、菌で汚染された水がおもな感染源となるコレラ(ほかに赤痢、腸チフスなど)についても、上下水道の普及などによって、少なくとも先進国ではほとんどみられなくなりました(ただしコレラは発展途上国を中心に近年になっても年間130~400万人が感染、2万~14万人ほどが死亡していると推定される)。

そこで、「文明の発達によって感染症は撲滅できる、克服できる」という見解が、この数十年間、私たちのあいだでは一般的だったのです。ある有名な感染症学者(ピーター・ビオット、エボラウイルスの同定に初めて成功)が、学生時代だった1970年代に医学部の指導教授から「感染症研究の分野にもはや未来はない」ということを言われた、などという話もあります。

今回の新型コロナの問題は、「文明の進歩が感染症の問題を過去のものにする」という見方に対して、根本から修正をせまるものです。つまり文明が進歩しても、感染症の問題はなくならないということ。感染症というのは、文明に必然的にともなう、文明とは切り離すことのできない「副作用」なのだということを、今回の新型コロナの問題は示しているのだと、私は思います。

考えてみると、現代世界の文明は、これまでのどの時代よりも巨大な都市を発達させ、その都市を世界中からの人やモノが行きかう「グローバル化」がすすんでいます。都市での人の密集と、広域でのネットワークが空前の発達を遂げているのですから、それは、ウイルスのような感染症の病原体にとって大きな活躍の舞台が整った状態だといえる。

たとえば、世界の片隅で地域限定的に存在していた感染症が、何かのきっかけでどこかの大都市にたどりついて、そこから世界的に広がってしまうというリスクが高くなっている。ローカルでマイナーだった感染症の「世界デビュー」ということが、今の世界では以前よりも容易だということです。

今まさにそのことが起こっているわけです。そしてこのようなリスクは、1980年代以降のエイズや、比較的近年ではSARS(2003~2004年流行)や新型インフルエンザ(2009年世界的に流行)などの問題をきっかけに、一部の専門家は気がついていて警鐘を鳴らしていました。

でもそれは、広く一般的に共有された危機感ではなかったでしょう。しかし、今回の件で私も含めた多数派の人たちの認識も変わっていく。いかざるを得ない。感染症というのは、これからの時代も文明社会にとって重大な脅威であり続けるということを、今回の件で世界の多くの人びとが認識するようになるでしょう。忘れていたこと、以前は常識だったことを、改めて認識させられるということです。

もちろん、感染症が文明に必然的に伴うものだからといって、対処する術がないなどというのではありません。私たちは、ペストが流行した時代の人びととには想像もつかない、感染症に対応するためのさまざまな道具を持っています。文明の副作用を完全になくしてしまうことはできなくても、副作用を文明の力で緩和することは十分できるはずです。

今後、何度かに分けて「世界史における感染症」について記事を書いていきたいと思っています。

 

参考文献 

とりあえず、つぎのマクニールの古典的な本をあげておきます。

 マクニール『疫病と世界史』(上・下)中公文庫

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
 

  

疫病と世界史 下 (中公文庫 マ 10-2)
 

 

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2020年2月時点の、おもに中国での動きに基づくもの。

 

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