目 次
マスクと手洗い
「ファクターX」とは、ノーベル賞の山中伸弥教授が提唱した概念で、日本で今までのところ新型コロナの感染が比較的抑えられている原因のことだ。
これについての定説はまだないが、有力な候補のひとつに「マスクの着用や手洗いの励行、3密を避けるなどの人びとの努力」ということがある。
たしかに、日本人はマスク着用や手洗いをよく行っている。一方欧米ではマスクへの抵抗感が根強く、街中でマスクをしない人も目立つという。そして、マスクを拒否する人たちは、手洗いも不十分なのかもしれない。
なぜ日本人やマスク着用や手洗いをまじめに行うのか? そこには「病気が怖い」というだけでなく、世間体を気にする同調圧力が働いているのではないか?
マスクをしていないと、日本では冷たい目でみられてしまうのだ。そして、もしも感染してしまったら、世間からどれだけ非難されることだろう……
感染は自業自得か
このことに関する、ある研究を新聞記事で知った。大阪大学の三浦麻子教授らが3~4月に行った調査で、コロナなどの感染症への「感染は自業自得だと思うか」について、日本、米国、英国、イタリア、中国の人たちに質問し、各国の400~500人からインターネットで回答を得たものだ。
その結果、「どちらかいうとそう思う」「ややそう思う」「非常にそう思う」の3つのいずれかの回答をした人の割合はつぎのとおりだった。
日本11.5% 中国4.83% イタリア2.51% イギリス1.49% アメリカ1.0%
一方、感染が自業自得とは「全く思わない」と答えた人は、ほかの4か国は60~70%だったが、日本は29.25%だったという。
(読売新聞オンライン2020年6月29日『「コロナ感染が自業自得」日本は11%、米英の10倍……阪大教授など調査』より)
日本では、感染者が非難される傾向がとにかく強いのである。
感染は「人に合わせる」あり方からの逸脱だ。感染者が責められるのは、そのような逸脱を嫌う同調圧力の一種である。そして、本来被害者であるはずの人まで非難されるのは、「圧力」がそれだけ強いということだ。
日本では「感染したときの社会的非難への恐怖」がマスク着用や手洗い励行の大きな原動力となっているのではないか。
そして、同調圧力が強い社会は、個人の考えを打ち出しにくい、個人主義が弱い社会である。
この個人主義の弱さは、感染症対策にはプラスに働く。政府が強権を発動しなくても、人びとが世間体を気にしてマスクを着けてこまめに手を洗う社会は、感染症を食い止めるうえでは有利なはずだ。
以上をまとめると、「感染症の拡大を抑えるファクターXの根底にその社会の“個人主義の弱さ”や“同調圧力”があるのでは」ということだ。
人口あたりの感染者数
では、ほんとうに個人主義が弱い国では、個人主義が強い国よりも感染拡大が抑えられているのだろうか?
以下は、2020年7月22日時点の「人口10万人あたりの新型コロナウイルス(累計)感染者数」の各国比較である。(日本経済新聞のウェブサイト「チャートで見る世界の感染状況 新型コロナウイルス」より)
米国1195人 ブラジル1048人 スペイン569人 ロシア541人 イタリア405人 フランス272人 韓国27人 日本21人 中国6人
日経新聞のこのサイトにはデータがないが、ドイツと英国について同様の計算を私そういちが行ったところ、ドイツ240~250人 英国440~450人。
人口あたりの感染者数がとくに少ないのは日本、韓国、中国である。台湾も含め、東アジアでは、欧米よりも感染が抑えられているといわれている。
東アジアの共通性
これらの東アジアの国ぐにに共通していることのひとつに、個人主義の弱さがある。
個人主義をもう少し説明すると「自分の考えで自由に行動することを大切にする価値観」のことである。「人はどうあれ、私は私」「自分が主体」ということだ。そしてこの価値観のもとでは他人の考えや自由も尊重される。米国や英国は、欧米のなかでも、とくにこのような個人主義が強いとされるのはご承知のとおり。
なお、「日本人も実は個人主義的」という説も近年は出ているが、私は賛成しない。このような説は「自分さえ良ければ」という利己主義を個人主義と混同したものだと考えている。
一方韓国は、日本と同様に、あるいは日本以上に世間体を気にする社会だといわれる。たしかに、不祥事を起こした韓国の著名人の謝罪会見などの様子は、まさにそうだ。「世間をお騒がわせして申し訳ない」という感じが、場合によっては日本以上に強い。
中国はどうか。中国人はかなり個人主義的だともいわれる。ただしそれは「家父長や社長、国家のリーダーなどの権力者が圧倒的な力を持ち、その権力者にバラバラの個人が服従して束ねられている」という社会のあり方に根ざしたものだという見解がある(たとえば、益尾知佐子『中国の行動原理』中公新書)。
中国に個人主義の傾向があるとしても、それは欧米的な価値観とは異質なものなのである。
なお、三浦教授らの調査で「感染は自業自得」とする人の割合は中国では約5%と、1%台の米英にくらべて大幅に高く、調査対象のなかで日本と米英の中間的なレベルにある。それにしても、三浦教授は韓国についても調査をしてほしかった。
個人主義が弱く、かつ経済発展が進んでいる
そして、このような個人主義の弱さに加えて、もうひとつの要素が日本、韓国、中国にはある。
それは経済発展という要素である。産業・経済が発達していて、感染予防のためのさまざまなリソースを多くの人が利用できるのである。今の中国も、完全に先進国とはいえないが、先進国に準じた技術や工業力を持っている。
これは、たとえば同調圧力のもとで「マスクをしなければ」となれば、それをふつうはスムースに実行できるということである。いろんなものが手に入りにくい発展途上国では、こうはいかない。一方欧米では、マスクを入手できても、自分の考えからあえてそれをしない人たちがいる。
日本、韓国、中国には、もちろん違いがある。しかし、「個人主義の弱さ」「一定以上の経済発展」という2点については、この3国は共通している。
これらの3国は、欧米(とくに米英)のような個人主義が強い国ぐにとも、経済発展が不十分な発展途上国とも異なる、「東アジア的社会」とでもいうべき独特なカテゴリーとなっている。
このカテゴリーには、台湾もおそらく含まれるだろうし、タイなどの東南アジアの一部の国も含まれるかもしれない。
なお、ここではおもに人口数千万以上の大国のあいだでの比較を行っている。北欧諸国やニュージーランドなどの小国は基本的に除外する。こうした中小規模の先進国は、政府の方針を徹底しやすい傾向があり、大国とはかなり条件がちがう。
以上、「個人主義が弱く、かつ経済発展の進んだ国=東アジア的社会で、コロナの感染が比較的抑えられている」ということだ。
なお、ファクターXに関しては、「日本などの東アジアではBCGの予防接種が積極的に行われたため、人びとの免疫力が高かった」という「BCG仮説」もかなり有力だ。しかしここでは生物的原因ではない、社会的原因について考えてみた(私はそれしかできない)。
東アジア的アプローチの限界
そして、「東アジア的社会」は、これからもコロナ感染症との戦いで、欧米よりも優位であり続けるだろうか?
私は東アジア的なアプローチには、限界があると思う。コロナとの戦いで最も強いモデルは、これではない。最強なのは「政府が科学的・合理的な方針を明確に打ち出し」かつ「国民がそれに主体的に協力する」というかたちのはずだ。
これまでの欧米では、この2つのうちの片方もしくは両方に弱いところがあった。未知のウイルスに対して明確な方針を打ち出すことには困難だった。また、そのような状態では危機意識に個人差があり、個人主義的な国民は必ずしも当局の方針に従わなかった。マスクの件は典型的だ。
しかし、このウイルスとの戦いで経験値が増すにつれて「当局の合理的方針」と「合意に基づく国民の協力」の2つが機能するようになっていくのではないか。
このようなあり方は「合理的アプロ―チ」といえばいいだろうか。
たとえば新型コロナの感染者や死亡者が今のところ(2020年7月下旬現在)激減してきたニューヨーク市の状態は、合理的アプローチの先駆けなのかもしれない。ニューヨークでは、一時は感染が蔓延したものの、最近は大量のPCR検査、感染者の追跡、隔離などを行う体制整備をすすめていた。
そして、このような合理的アプローチの要素は、韓国や中国にも多々あったのである。さらに、中国の場合は独裁国家ならではの資源の集中や強制ということもあった。
合理的アプローチが弱かった日本
一方日本では、残念ながら合理的アプローチの要素は弱かった。医療などの現場の専門家たちはおおいに努力したが、国家としての系統だった施策は不明確だった。
だから「何で日本はこんなに感染者が少ないのだ」と世界から言われるのだ。「アベノマスクみたいな政府の不合理な対応や不手際が目立つのに、なぜ?」というわけだ。日本は最も純度の高い「東アジア的アプローチ」の事例なのだ。
7月下旬現在の日本の状況は、弱い個人主義のもとでの東アジア的アプローチの限界を示しているのかもしれない。
感染の再拡大に備えての、政府による体制整備はあまりなされていなかったようだ。そして、政府は相変わらず明確な方針を打ち出せていない。「感染対策をしっかりと」と呼びかけながら「旅行に行こう(ただし東京は除く)」などと言っている。
それでも「お願い」をすれば、国民はこれまでのように感染防止につとめてくれるはずだと、日本政府は期待しているのだろうか?
日本の私たちは、コロナ禍をのり越えるために、これまでのやり方を卒業して、合理的アプローチに移行しなければならないはずだ。
もしもその移行ができなければ、遠くない未来に欧米、韓国、中国、台湾などでコロナが終息したのをみながら、自分たちはまだ苦しみ続けるという事態になってしまうかもしれない。そんな未来は避けなければならない。
当ブログの感染症の歴史についてのつぎの記事も、ぜひご参照ください。
少子化の問題にも、日本人の世間体意識がかかわっています。
また、感染症の歴史についての参考書としては、とりあえずつぎの本がおすすめ。20余りの感染症をとりあげた感染症図鑑といえる本。
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