社会学者・山田昌弘の『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社新書、以下本書という)を読んだ。サブタイトルの「結婚・出産が回避される本当の原因」について論じた本。少子化だけでなく、さまざまな問題にかかわる日本社会の特質について考えさせられた。
この本が述べるとおり、日本の少子化対策は「失敗した」といっていい状況だ。以下、本書の内容を私なりに要約して述べる。
目 次
- 日本の少子化
- 日本の少子化対策の誤り
- 欧米モデルは日本では当てはまらない
- 「リスク回避」と「世間体」
- 中流からの転落を恐れる
- 国の経済力を上げるか、価値観を変える
- 繁栄から衰退に向かうときに特有の現象?
- 変わらない日本
日本の少子化
日本の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む平均の子どもの数)が、人口増減の境目である「2.07」を下回るようになったのは、1970年代のことだった。
その後1990年代には、合計特殊出生率は1.6を下回るようになる。この頃から「少子化」は深刻化したといわれる。
そして、合計特殊出生率は2005年には1.26まで落ち込んだ。その後やや回復し、2015年には1.45。近年は1.4程度で落ち着いている。一方、2008年頃には、ついに人口減少が始まった。
2016年のおもな欧米諸国の合計特殊出生率は、こうなっている。
アメリカ1.82 イギリス1.79 ドイツ1.59 フランス1.92 スウェーデン1.85 イタリア1.34 *日本1.44
日本は、イタリアを除くどの主要先進国よりも低い数値である。
そして、イタリア以外の国ぐには、
・もともと出生率があまり落ち込んでいない(アメリカ、イギリス)
・少子化対策で出生率を回復させた(フランス、スゥエーデン)
・移民で人口を補っている(ドイツ)
といった状況であり、人口減少には至っていない。
これらの欧米諸国は1980年頃から現在までに15%以上人口が増えた。アメリカは移民も多く受け入れたので、4割も増えている。日本は10%程度の増加にとどまっていて、人口減少も始まった。
日本の少子化対策の誤り
日本がこうなったのは、しかるべきタイミングで適切な対策を打たなかったせいだ。そして、その根本には、政府や識者が少子化の「本当の原因」を理解していなかったことがある。
つまり、政府は「何だかんだいっても、若者はいずれは結婚するだろうし、結婚すれば子供をつくるだろう」という楽観的な前提に立っていた。
そして、保育所や労働環境の整備などの、おもに働く母親のための「子育てと仕事の両立」の施策を重視したのだが、それでは不十分だった。
日本の若者は、欧米と比較すると、成人しても親元から離れないことが多く、パートナーをみつけて独立した暮らしを始めることに消極的なところがあった。親も、いつまでも自立しない子どもの面倒を見続ける。
つまり、日本では若者が自立や結婚に消極的なところがあり、それでも困らない・許容される傾向があったのだ。
結婚が減れば、当然生まれる子どもは減る。とくに日本では結婚せずに生まれる子が欧米よりも少ないので、結婚の減少は少子化に直結する。日本の少子化対策においては、結婚の問題がじつは大事だったのに、その観点は弱かった。
また、日本の女性は「仕事は自己実現」という意識が欧米に比べて弱く、「働く母親を応援する」ための施策も、空回りしがちだった。
欧米モデルは日本では当てはまらない
これは、政府や識者がモデルとしていた欧米的なあり方が、日本には当てはまらなかったということである。
欧米では
・子どもは成人したら親から独立する(子育ては成人したら完了)
・仕事は自己実現である
・恋愛至上主義(パートナーを熱心に探し求める)
といった価値観が浸透している。
しかし、日本はそうではない。そこを政府も識者も見落としていた。
そして、見落としていたのは、高学歴で大都市に暮らす、比較的恵まれた層のことばかり念頭において、非大卒などの多数派の若者のことを本気で知ろうとしなかったからではないか。
こういう議論を、著者の山田さんは、いろいろなデータや調査をもとに展開していく。その主旨に、私(そういち)もおおむね納得している。「なるほど、そうだったのか」「そういえば、そうだなあ」と。
「リスク回避」と「世間体」
そして、ここが一番大事なところなのだが、日本において「何が結婚・出産を回避させるのか」ということがある。
これについて山田さんは、つぎの“日本社会、日本の家族に特徴的な、人々が持つ意識や慣習”があるという。(同書65~66㌻)
・「リスク回避」志向
・「世間体重視」
・子どもへの強い愛着――子どもにつらい思いをさせたくないという強い感情
こういう日本的な価値観だと、結婚相手を選ぶとき、かなり慎重になる。結婚相手(とくに男性)に、安定した十分な収入があるか。そうでない相手との結婚は、リスクが大きすぎる。
あるいは、周りの人(親戚・友人・知人)にどう思われるか。結婚相手として、周囲から変に思われたり見下されたりしないだけの、学歴や職業などのステイタスを備えているか。つまり、「世間体」は悪くないか。
そういうことを気にしすぎると、たしかに結婚はしにくくなる。
そして、「子育て」のことも、結婚する前にも結婚後でもいろいろ心配するのである。
子どもができたとき、自分が親にしてもらったこと(たとえば良い教育や子ども部屋をあたえること等々)を子どもにできるろうか?もしそれが経済的に困難なら、子どもをつくるのはやめよう」などと考える。そういう価値観が強いと、子どもをつくることにも慎重になる。
そして本書によれば、くわしくは述べていないが、東アジア(中国や韓国)には日本と共通の傾向がみられるという。
中流からの転落を恐れる
そして、「リスク回避」と「世間体重視」のあいだに共通する意識についても、同書では述べている。
それは「中流からの転落を恐れる」ということだ。
収入が少なく不安定な相手との結婚は、中流からの転落につながる大きなリスクがある。結婚相手の学歴や職業しだいでは、中流としての世間体を保てないかもしれない。あるいは、自分の今後のキャリアや収入の見通しでは、子どもに中流の暮らしをさせてあげられないかもしれない……そういう「転落のリスク」を、若い世代に限らず、多くの日本人が気にしているのだ。
そして、「中流からの転落を恐れる」のは、現にその恐れがあるからだ、とも述べている。
つまり、「日本人はじつはかなり貧しい」のだと。それについては、日本の相対的貧困率(平均所得の2分の1以下の所得の人口が占める割合)の高さを指摘する(2015年で日本は16.0%だが、OECD平均は10.5%)。さらに日本のGDPはOECD諸国のなかでは低いほうなので、貧困状態の人の割合は相当高い、と説明している。(145㌻)
そしてこう述べる。
“「意識は中流、でも現実には貧困と隣り合わせ」。…これが日本の少子化の大きな原因なのである”(146㌻)
以上、要するにこういうことだろう――日本の少子化の根底には「中流からの転落を恐れる意識」があり、その意識は、日本の経済力の凋落という現実に基づいている。
国の経済力を上げるか、価値観を変える
では、以上の現状認識をふまえて、対策の処方箋をどうするか?
本書では2つの方向をあげている。(183~184㌻)
・結婚して子どもを2、3人育てても、親並みの生活水準(子育て水準を含む)を維持できるという期待を持たせるようにする。
・親並みの生活水準に達することを諦めてもらい、結婚、子育てをする方を優先するようにする。
つまり、日本の経済力を上げるか、価値観を変えるということだ。いずれも大変なことだ。山田さんも“両方とも簡単にいくものではない”と述べている。(184㌻)
この本は処方箋のところは物足りない。しかし問題が大きすぎて、別の本が必要だということだろう。
以上、かなり長くなったが、本書『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』の私なりの要約である。この本は、少子化問題についてこれまでの議論を整理して、より深く理解するための視点を提示していると思う。
繁栄から衰退に向かうときに特有の現象?
結局、現在の日本の少子化は、かつて繁栄した社会が衰退に向かう際に特有の現象といえるのではないだろうか。そこに、日本的な(あるいは東アジア共通の)世間体意識が拍車をかけている。
「繁栄した社会が衰退に向かう」ときの少子化というと、世界史の事例では、たとえば絶頂期の100年代以降のローマ帝国がある。
そこでは、少なくとも恵まれた階層のあいだでは、少子化が起きていたようだ。たとえば、名門の家系が跡継ぎがいないために途絶えてしまうことが、珍しくなくなった。
当時のローマは、征服による領土拡大が止まって、特権階級にとっては、征服から得られる利権が以前ほどは期待できなくなってきた(これは社会全体の経済成長とは一応は別)。そんな時代に、上層の男子のなかには、養うべき妻子を持たず、独身でいることで生活水準や世間体を保とうとする者が出てきたという。
また、既婚の女性が「出産で命を落とすリスク」を恐れて、避妊や堕胎をすることも増えた。当時の出産は、たしかに母子ともに大きな危険を伴うものだった。
このような女性の行動は、直接には帝国の衰退とは関係ないが、国家を主導するエリート層の活力低下をうかがわせるところがある。
このように、繁栄から衰退への転換期に、結婚や出産に消極的になる傾向が、とくに恵まれた人たちのあいだで強くなることは、世界史上のいろんな社会にみられるのではないだろうか。
たとえばベネチアなどのイタリアの都市やオランダなどで、そういうことはあったのではないかと思うが、確かめていない。今後の宿題にしたい。
変わらない日本
それにしても、本書を読んで思うのは、「日本人はなかなか変わらない」ということだ。「世界史のほかの似たような事例」のことも浮かんだが、それ以上に「変わらない日本」のことがやはり気になる。
日本人のリスク回避志向というと、私がまず思い浮かべるのは「日本人の金融資産の構成」である(このことは今回紹介した同書でも少し触れていた)。
日本人の金融資産に占める現金・預金の割合は、2019年で53%だ。この割合はアメリカだと13%で、ユーロ圏は34%である。日本ではリスクのある株式やファンドなどよりも預貯金を好む傾向が顕著なのだ。
そして、このような日本の金融資産の構成は、この30年大きくは変わっていない。1990年の現金・預金の割合は、47%だった。
「貯蓄から投資へ」などといわれて久しいが、預金以外のリスク資産の割合は、ほぼ変わらない(金融広報中央委員会『暮しと金融なんでもデータ』より)。なお、私は以前に投資信託の会社の設立に参加したこともあり、投資・運用には積極的なほうだ。
また、最近の当ブログの別の記事でとりあげたが、2020年3月の調査で「感染症にかかることは自業自得か」という質問に対し、「そう思う」「やや思う」「どちらかといえば思う」という人の割合が、日本はほかの国に比べてとくに高かった(アメリカ、イギリス、イタリア、中国との比較)。「感染は自業自得」と答えた人はアメリカでは1%、イギリスでは1.5%、日本では11.5%だった。
日本では、感染という「世間に合わせる」ことからの逸脱は、非常にきびしい目でみられるのだ。そういう社会だから、世間体を気にしてマスクをしっかりと身に着けるのだろう。
日本人の「世間体重視」は、こんなふうに、少子化にかぎらず社会のいろんな場面で強く作用している。これも、ずっと変わっていない。
以上のようなことを知って、意識するのは意味があると思う。「リスク回避」「世間体」ということに、自分はあまりにもとらわれていないか。そのことによって自分の人生や生活がつまらない・息苦しいものになっていないか――ときどきはそう問いかけてみるといいのでは?
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