目 次
- 先進国のあいだでもコロナの被害状況が大きくちがう
- 主要国の人口100万あたり新型コロナ死者数
- 被害の程度で3つのグループに分ける
- 社会の特徴のちがいとコロナの被害
- 裏付けとなる社会統計のデータはないか
- 乳児死亡率
- アメリカの乳児死亡率の高さ
- 犯罪に関する統計
- 日本は恵まれた社会的条件を備えているが
先進国のあいだでもコロナの被害状況が大きくちがう
新型コロナの被害状況は、国によって差があります。とくに私が目をみはったのは、先進国のあいだで被害状況が大きくちがうことです。
それが先進国と発展途上国のあいだのことなら、わかるのです。医療や衛生の状態に大きな差があるのですから。しかし、先進国内部での被害状況の大きな差は、何によるものなのでしょうか?
ここでは、世界の国ぐにのうち、主要国(人口数千万人以上の先進国)にかぎって論じることにします。
それは、「問題意識としてそこに限定する」というだけでなく、データの信頼性ということもあります。コロナに関する新興国・発展途上国の統計には、大幅な漏れや歪みがあるのではないかと、私は疑っています。たとえば、多くのアフリカ諸国のような途上国で、感染者をどれだけ捕捉できているのか? 中国政府の発表は、どこまで信頼できるのか? あてにならない統計をもとにあれこれ論じるのは控えたいのです。
また、感染者よりも死亡者の数を重視したいと思います。そのほうが「新型コロナの被害状況を示す統計」として正確だからです。
統計にあらわれる感染者数は、PCR検査の数など、その国の対策の状況によってかなり左右されます。しかし死亡者は、完全ではないにせよ、感染者よりもはるかに確実にカウントされる。これは発展途上国でも先進国でもいえることです。
主要国の人口100万あたり新型コロナ死者数
以下の表は、2021年1月の初め(1月8日時点)における、世界の主要国の、人口100万人あたりの新型コロナによる死者数です。(札幌医科大学医学部付属医学フロンティア医学研究所のサイトより、主要国の数値だけを抜粋・編集)。
このように、おもな先進国のあいだで、コロナの被害状況は大きな差があります。中国については、先進国とはいえないのですが、参考として別枠で取り上げています。
被害の程度で3つのグループに分ける
ここに取り上げた国ぐには被害の程度で3つのグループに分けることができるでしょう。①被害がとくに深刻な第1グループ(イタリア、イギリス、アメリカ、フランス)、②それに次いで深刻な第2グループ(カナダ、ドイツ)、③比較的被害が少ない第3グループ(オーストラリア、日本、韓国)の3つです。
第1グループは国名や数値が濃い網かけ、第2グループは薄い網かけ、第3グループは網かけなしで示しています。
第1グループと第3グループとでは、状況が大きく異なります。人口あたりの死者数が最も多いイタリアは、最も少ない韓国の60倍ほどにもなる。
社会の特徴のちがいとコロナの被害
このようなちがいはどこから生じたのか? 各国での政府によるコロナへの対応のちがいは、もちろんあるでしょう。しかし、さらにその前提として、国ごとの社会的な特質があるのではないでしょうか?
先進国のなかで、コロナの被害が多い国と少ない国とでは、社会の特徴にちがいがあるのではないか?
それは、コロナへの政府の対応や経済発展の度合いとは次元の異なる何かです。社会を規定する文化や価値観といってもいいかもしれません。人口あたりの死亡者数のデータをみて、私はそうイメージしました。
またこれは、以前に知った、ある調査結果からの影響もあります。それは、2020年の3月~4月に大阪大学の三浦麻子教授らが行った「コロナ感染を自業自得だと思う人の割合」を調べた各国の比較です。
この調査では「コロナに感染することは自業自得か」というアンケートの質問に対し、「そう思う」「ややそう思う」「どちらかといえば思う」と答えた人の割合が、日本は他国よりもとくに高かったのです。
「コロナ感染は自業自得」と答えた人は、日本では11.5%。一方、アメリカでは1.0%、イギリスでは1.5%、イタリア2.5%、中国4.8%。
この調査の対象は、今回とりあげた主要国の一部だけですが、さきほどの表にこの三浦教授らの調査結果を書き込みます。
「感染は自業自得」と考える社会のほうが、各人がきちんとマスク着用などの感染防止を行う傾向は強いはずです。感染にともなう世間体の悪さが、その後押しになる。
一方、「感染は自業自得」とは考えない社会では、マスク着用などは「それぞれの自由」になりがちで、それが感染の被害を悪化させているのではないか。
このような文化的な要素も、コロナの被害に大きな影響をあたえるのではないか。そういうことを、この調査から思ったのです。
さらに「感染は自業自得」というのは、世間体重視の個人主義が弱い社会であることを示しているのでしょう。最近の言葉でいえば「同調圧力」の強い社会。日本はまさにそうだと、よく言われます。
これに対しイギリスやアメリカは、同調圧力が比較的弱い個人主義的な社会。イタリアはやや個人主義が弱いが、広い意味では個人主義的ではないか(中国については、ここでは立ち入りません)。
韓国やドイツについても気になるのですが、この調査では残念ながら対象になっていません。ただ、韓国については、日本とちがうところはあるにせよ、基本的には同調圧力の強い、世間体重視の社会というのが、一般的なイメージだと思います。
裏付けとなる社会統計のデータはないか
以上のような「同調圧力の強い日本」「個人主義の欧米」といったことは、一般にも言われることです。しかし、調査による数値からそれがみえてくる、というのが重要なのです。
統計的な裏付けがあると、当然ですが単なる世間話以上の確実性で、世界や社会を理解できます。社会をみる解像度が、ぐっと上がってくるのです。
そして、「社会の基本的な特徴とコロナの被害状況には深い関連がある」という考えを確かめるには、まず、社会の状況を反映するさまざまな統計にあたってみるといいのではないかと考えました。
新型コロナによる人口あたりの死亡者数と相関的な、なんらかの社会統計のデータはないだろうか、ということです。
乳児死亡率
それでまずみつけたのが、乳児死亡率のデータです。
*乳幼児死亡率のデータは『世界国勢図会 第31版』(矢野恒太記念会)による。以下コロナ死者数以外のデータはすべて同書による。
どうでしょうか。先進国のなかで乳児死亡率が高い国は、新型コロナの人口あたり死亡者数が多い傾向があるのではないでしょうか。
上記の表は、個々の国ごとの順位を比べるのではなく、「第1」「第2」「第3」のグループ単位(網かけの色ごと)でみてください。こういう比較は、おおまかな傾向をとらえることが肝心です。
「乳児死亡率」の表は、「人口あたりの新型コロナ死者数」の表と比較して、網かけの色の分布が、ある程度似たものになっていると思うのですが、どうでしょうか。この分布が似ているほど相関がみとめられる、と考えています。
乳児死亡率とは、「生存新生児(≒死なずに生まれた新生児)1000人のうち、1歳にならずに死亡する者の割合」です。死産や生まれて間もなく亡くなったケースは含みません。
乳児死亡率については、発展途上国と先進国のあいだで大きな差があることは、多くの人が認識しているとおりです(そのことにはここでは踏み込みません)。しかし、じつは先進国のあいだでもそれなりに差があるのです。
アメリカの乳児死亡率の高さ
とくに、アメリカの乳児死亡率の高さは、きわだっています。「世界最強の先進国でどうして?」と思います。この表で最も低い日本が「1.8」なのに対し、アメリカは「5.6」にもなるのです。
このような日本とアメリカのちがいは、衛生・医療の環境のちがいでは(少なくともそれだけでは)説明がつかないはずです。それよりも、社会の特質、あるいは文化や価値観が関わっていると考えるのが自然でしょう。
アメリカの乳児死亡率について解説したネット上の記事などをみると、予定日よりも早く生まれる未熟児の割合の多さが指摘されています。
そしてその原因として、自然分娩ではなく帝王切開をする割合の多さがあると。お産の苦しみを避けるために、あえてそうするケースもあるようです。
あるいは、統計的な根拠は不明確ですが、貧しいマイノリティの間での乳児死亡率の高さが影響しているとも言われるようです。たしかに、それもありあそうです。
アメリカの乳児死亡率が高い原因については、ここでは十分に踏み込むことができません。調べきれていません。
ただ、限られた情報からでも、アメリカ社会の特質がぼんやりとみえてくる感じはします。お産を人工的な処置で行うことに積極的な、極端なまでの「文明化」の傾向、貧しいマイノリティを含む多民族国家、激しい格差……このような社会の特質を、コロナ被害が甚大になったのと結びつけることはできます。
子どもの死亡率が高くなっても、あえてお産の苦しみを避けるというのは、自分の快適さをまず重視するある種の個人主義です。しかし一方、個人のそういう選択が許容される自由がある、ともいえる。
そのような個人主義の傾向が強い人たちは、マスク着用や頻繁な手洗い・消毒、その他の行動抑制に対し、おおいに抵抗感があるはずです。また、マイノリティの貧困層のあいだでコロナへの感染率が高く、社会全体で感染をおさえきれないひとつの要因となっている、ということも一般に言われているわけです。
一方で、日本や韓国では、アメリカ的な帝王切開の選択は比較的許容されにくいでしょう。欧米のなかでは、イタリアもそうなのでしょう。通俗的なイメージですが、家族主義的とされるイタリア人が、お産についてアメリカ人みたいな考えをするとは思えません。
もちろん、日本の乳児死亡率の低さは、医療現場の決め細かい努力の積み重ねや、親や周囲による子どもへの手厚いケアがおもに支えているのでしょう。そこには、日本人の特性がよくあらわれている。
アメリカという国は、世界で最も高度の医療やテクノロジーや、物質的な動員力や、組織運営力などを持っています。そのことは、今回のコロナへの対応でも伺うことができました。ワクチン開発などは、まさにそうです。
しかし、そのような強い面を帳消しにするような、コロナに弱い要素がアメリカ社会のなかに存在している。乳児死亡率のデータは、そんなアメリカの「弱い面」を映し出している。
そして、その詳細はわからないが、アメリカに次いで乳児死亡率の高い国ぐに(カナダ、イギリス、フランス)にも、そのようなアメリカ的な「コロナに弱い面」があるのではないか。
このような推論がどこまで正しいかどうかは、さらにまたいろいろ検証しないといけませんが、ここではとてもやりきれません。
犯罪に関する統計
乳児死亡率のほかに、犯罪に関する統計も、コロナの被害状況とある程度相関的なようにみえます。つぎの「人口あたりの殺人事件数」と「人口あたりの自動車盗難件数」です。
犯罪の統計は、たとえば「暴行」「強盗」などは、国によって定義がちがっていて比較しにくいです。そこで、比較的定義が明確と思われる「殺人」と「自動車盗難」を選びました。「殺人」は凶悪犯罪の代表で、「自動車盗難」はそれよりは軽微な一般的な犯罪の代表です。
このような犯罪の統計でも、とくに殺人件数でアメリカはきわだっています。最も少ない日本の20数倍の人口あたり件数です。「銃社会」ということはありますが、アメリカは、自動車盗難の多さでも上位です。
「殺人」も「自動車盗難」も、その件数が多い上位4か国のうち3か国は、コロナの人口あたり死者数がとくに多い「第1グループ」の国です。なお、殺人が比較的少ないイタリアも、自動車盗難は多いです。
逆にこうした犯罪の件数がとくに少ない「第3グループ」の日本と韓国は、コロナの死者数も少ないわけです。「第2グループ」のドイツは、犯罪の件数でもコロナの死者数でも、この表のなかで「中間」の位置を占めています。
犯罪発生率の統計は、治安状況だけでなく、その国の人びとの「規範(ルール)」や「秩序」への感覚を示しているはずです。
犯罪が多いというのは、公共のためのルールや秩序を破る人間がそれだけ多いということです。
殺人や窃盗をするのは社会のごく少数ですが、犯罪の発生率というのは、犯罪よりは軽微なルール違反の発生率ともつながっていると思います。軽微な違反とは、たとえば政府が決めたマスク着用や外出禁止のようなルールを守らないということです。犯罪が多い社会は、感染対策で政府の言うことをきかない人も多いのではないでしょうか。
なお、「ドイツ人は秩序を重んじる」というイメージが一般にあると思いますが、たしかに「自動車盗難」の件数は、ほかの西欧の国ぐに(イギリス、フランス、イタリア)よりもはっきりと少ないです。
そして、日本の犯罪の少なさということは、ここにあげた統計でもはっきり示されています。ただし、自動車盗難については、韓国のほうが少なくなっています(韓国の自動車盗難の少なさの理由はわかりません)。
日本は恵まれた社会的条件を備えているが
こうした考察を通して、やはり気になるのは日本のことです。乳児死亡率の低さや犯罪の少なさということでは、日本は主要国のなかで良い状況にあります。それは日本が、赤ん坊をはじめとする人の命を大切にすることができる、それだけの能力を備えた社会であること、人々が秩序やルールを重んじることなどを示しているといえるでしょう。
つまり、日本はコロナと戦ううえで恵まれた社会的条件を備えているのです。
そうであれば、その恵まれた条件をフルに生かすことにつながる政府の対応があれば、台湾のように強力に感染をおさえ込むこともできたかもしれない。ところが、現実にはそこまではできていないわけです。きわめて残念なことで、なんとか今からでも挽回できないものかと思います。
なお、最後に「コロナの人口あたり死者数と相関があるかもしれない」と思ってみてみたけど、相関はみられなかった統計について示します。一人あたりGDP(経済の発展度)、平均寿命、人口あたり医師数です。
このような、人びとの健康と深く関わるはずの指標でも、コロナの死者数とはあまり関係ないということがあるわけです。だとすれば、一定の相関があると思われる「乳児死亡率」「犯罪件数」という指標には、やはりコロナとの戦いを左右する社会の特徴と関わる何かがある、ということではないでしょうか。
この記事では、仮説的な考えを十分に検証したとはとてもいえませんが、考えるための一定の視点は示せたと思っています。検証を深めていくことは、今後の宿題とします。
以 上