そういち総研

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人生を楽しくする独学術・勉強法1 独学は「個」として生きるためのエンジン

はじめに

私そういちは、勉強法、独学術、読書術といった「知の技法」に関心がある。以前に『自分で考えるための勉強法』(電子書籍、ディスカヴァー21刊)という本を出したこともあるくらいだ。

そして、とくに「独学」ということには、強い想いを抱いている。私自身がいろいろなことで「独学者」といえるからだ。たとえば私は世界史関連などの著作があるが、これは私にとって生活を支える仕事(本業)とは関係のない活動で、まったくの独学によるものだった。

私は若い社会人のころから、「自分は独学者だ」という意識を持ってきた。

このブログでは、これまで世界史などについての、「研究成果」をアップするだけで、その背景にある方法論やノウハウ、自分の想いなどについての「自分語り」はしてこなかった。しかし、これからはそういう語りも積極的にしていきたいと思っている。

今回はその第1回。「勉強」「独学」ということの、そもそもの意味について。

 

目 次

   

勉強は成功のためのものではない 

世の中には、ビジネスマンなどの大人を対象とした、「勉強法」や「知の技法」をテーマにしたさまざまな本や記事があふれている。それらの多くに、私はやや違和感がある。

それは勉強というものを、人生における一般的な成功と安易に結びつけているからだ。

そこで論じられている「勉強」の先にあるものは、たいていの場合、高度の資格を身につけたり、会社勤めなどの仕事で成果を上げたり、あるいは知的なエリートとして周囲に認められたり、といったことである。

でも、読書術のような「知の技法」は、じつはそのような「成功」とはあまり関係がない。

「これからのビジネスマンには、リベラルアーツ(要するに深い教養のこと)が求められる」などと最近ときどき言われる。しかし、歴史や哲学や芸術についての教養が、会社での成果や出世にプラスになるなどということは、ほとんどあり得ない。そのような教養が本当に「役立つ」としたら、よほどのエリートにかぎられるだろう。そのことは、会社勤めなどの社会経験がある大人ならわかるはずだ。

もちろん仕事をするうえで、いろいろと真剣に学ぶことは大事だ。しかし、私たちが収入を得るために行っている仕事のほとんどは、職業的な知識人(学者・研究者、作家、コンサルタントなど)が説くような「知の技法」や「教養」が役立つ性質のものではなく、もっとシンプルで現場的なものだろう。だからこそ、本など読まなくても、いい仕事をしている人はたくさんいる。

おそらく知識人は、自分たちの「芸」を普通の人たちに買ってもらうために、役に立たないものを役に立つかのように無理に言っているだけなのである。

試験勉強だって、「知の技法」をとやかく言うまえに、しっかりとテキストや問題集を読み込んで覚えれば、たいていはなんとかなる。

 

人生を楽しくするために勉強する 

では大人の勉強は、なんのためにするのだろうか? それは「人生を楽しくするため」だ。そして、人生を楽しくするような勉強というのは、それなりに方法論やノウハウが要る。

なぜかといえば、あたりまえかもしれないが、初歩的で簡単なこと、浅いことを学んでも楽しくないからだ。

それなりに高度で深い世界に分け入らないことには、興味や感動はわいてこない。そして、高度で深い世界を扱えるようになるには、それなりの技法やノウハウが必要になってくる。

たとえば、さきほど述べた「リベラルアーツ」的な深い教養の世界は、売上や出世には役に立たないが、知ること自体が楽しい。しかし、本当に楽しくなるには、やはりそれなりの方法論や積み重ねが要る。私自身、それを実感してきた。

私そういちは、大学の法学部を出たあと会社勤め(運輸関係の会社)を続けながら、おもに歴史や社会科学――とくに世界史に興味を持って独学を続けてきた。そしてこの数年は、世界史に関する解説書(『一気にわかる世界史』日本実業出版社刊)を出版したりもしている(この本は、2024年に改訂増補のうえ、PHP文庫で『一気に流れがわかる世界史』として文庫化された)。

また世界史の本のほかに古今東西の偉人について述べた著作や、この記事とも重なる勉強法・読書法についての著作もある。(『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン刊)この2冊は電子書籍だが、出版社が認めて商業出版してくれたものだ。

なお、会社のほうは十数年務めたあと辞めて、それから10年余りの間に、会社を立ち上げたり、カウンセラーの仕事をしたりしているのだが、その辺についてはまたあとで。

このような本の出版は、一応の成果といえるだろう。これは、ただぼんやりと、あるいはやみくもに読書したり勉強したりするのではなく、一定の方法論を意識しながら取り組んだ結果だと思っている。

そのことで、世界史という膨大で複雑な対象を自分なりにとらえることができるようになった。深いレベルで「知るよろこび」を味わえるようになったのである。

そして、それがたのしくて勉強を続けることができた。じかに指導してくれる先生がいたわけではなく、その意味でまったくの独学だった。

私にとって世界史の勉強は、当然ながら仕事にはまったく関係がなく、周囲には「そんなことをして何になる」という人もいた。しかし、楽しくてやめることができなかった。

まあ、「楽しい」といっても、ワクワクと盛り上がるという感じではない。あくまでじんわりとした楽しさであって、ついそれに時間を割いてしまう、というものだった。

そして、出版したといっても、私の本はあんまり売れていないので、ほとんどお金になっていない。もの書きとしての評価も得られてはいない。

世間の反応としては、ビジネス雑誌(『プレジデントウーマン』)の歴史・経済についての「教養特集」や、新型コロナ関連で「感染症の歴史」について取材を受けたことがあるくらいだ。いわゆる「成功」とは程遠い状態である。

しかしこのように、読書による独学を、商業的な出版物というかたちで世に出せたのは、やはりうれしいことだった。好きな独学を続けたことは、たしかに私の人生をより楽しいものにしてくれたのである。

 

独学が支える楽観的な見通し 

これから先、仮に本の著者としての成功とは無縁のままだったとしても、私はこれまで続けてきた路線の独学や著述をやめないだろう。私は今50代半ばだが、「60代、70代になっても、これを――読んだり書いたりを続けていたい」という気持ちだ。まあ「ぼちぼち」というペースであっても、とにかく続けているだろうと。

これは幸せなことだと思う。最近は「定年後をどうするか」といった、老後の孤独や退屈、あるいは虚しさを心配する人たちに向けた指南本が売れているが、私は「自分が老後に退屈することはないだろう。楽しむネタはいくらでもある」と思っている。

そのような楽観的な見通しを支えているのが、若い頃から続けてきた独学ということだ。

そんな私であれば、「人生を楽しくする独学術・勉強法」について、初心者の人に述べてもよいのではないかと思うのだが、どうだろうか。

 

私のいろいろな独学 

もう少し言わせてもらえば、私が独学してきたのは、著作のある世界史などの分野だけではない。

10数年前、40歳を過ぎた頃に私は会社を辞めて、小さな会社を立ち上げ、その代表取締役になった。投資信託という金融関係の事業を行う会社である。会社員のときの仕事とはまったく異なる分野なのだが、これも独学から足を踏み入れたのである。

30代半ばから投資の世界に関心を持った私は、自分なりの勉強をしつつ、ファンドを買うなどして運用した。その結果得た何千万円かの利益をこの会社に投じた。

しかしこちらは、いろいろあって2年余りで手をひいてしまった。ただし、会社の事業であるファンドの運営は今も続いている。なお、私はこの起業で貯金を大きく減らしたが、借金は背負っていない。

その後私は、3年ほどぶらぶらと浪人生活を送った。そしてその後は、非常勤で若い人の就職の相談に乗る「キャリアカウンセラー」の仕事に就いた。限られた収入だが、妻の働き(パートの仕事と、自分が主宰する書道教室の収益)とあわせ夫婦2人で細々と暮らすことができた。

そうした仕事の傍ら、書くことをしているのである。キャリアカウンセリングも、私にとっては未知の世界だったが、興味深いことが多く、自分なりに勉強を重ねた。

ただし、今年(2021年)の春には、私は10年近く続けたキャリアカウンセリングの仕事を辞めて、「素浪人」になった。元気な現役の時間がやや残り少なくなってきた、人生の今この時点で、読むこと書くことにもっと時間を割きたいと思ったのだが、このことについては、別の機会に。

そして私の独学は、ほかにもある。住まいについても興味があって、独学をした。30代の頃、建築や住宅の本を読むのが好きだった。インテリアショップも、何も買わなくてもときどき覗いていた。

私の家は、古い団地(公団住宅)を、2006年(私が40才過ぎの頃)にリノベーションしたものだ。当時はまだ「リノベーション」「団地リノベ」は現在ほど一般的ではなかった。しかし、自分なりの勉強で「比較的ローコストで、思うような住まいを手に入れる方法」として、団地リノベに注目したのである。

そして、建築家の寺林省二さんに設計を依頼して実現した。寺林さんという良い専門家を探しあてたのも、自分なりの勉強の成果といえるだろう。その後、私の家は団地リノベの実例として何度か雑誌や本に取り上げられ、私自身もこの家を気に入っている。

この家は、寺林さんたち専門家の仕事によるものだが、私は依頼者として全体の方向性やどんな専門家に(つまり誰に)頼むかなどを考えた。それが良い結果を生んだのは、住まいについての独学の成果だと思っている。

 

個として生きるためのエンジン 

以上「自分語り」をしたが、どの取り組みもたいしたことないと言われれば、たしかにその通りだ。

本は売れてないし、会社は経営しきれなかったし、お気に入りの自宅も所詮は古い団地にすぎない。そして、非常勤(非正規)の仕事で食いつなぎ、今はただの素浪人……。

しかし、自分のやりたいことを、自分のアタマで考えながらやってきたという感じはある。ひとつひとつの取り組みは、その過程ではやはり楽しかった。そしてこれからも、退屈したり絶望したりせずに、人生を過ごせるように思える。

私の場合、その推進力の核に「独学」の能力がある。

つまり、自分の目的や関心に沿ってものごとを探求し、それを楽しむ能力である。

そのような独学のセンスや経験については、私には一定のものがあると自負している。そのほかの能力――行動力や社交性や、強い意志や執念などについては人並み以下のようだ。他人の整理した知識の体系を覚える試験勉強も、大人になってからは本当に嫌だし苦手だ。IT関連のこともまったく苦手で、このようなブログをどうにか運営するので精一杯。だから成功とは縁がないのだろう。

でも、ここで述べる独学の方法論を、ほかの面で私よりもすぐれている人が学んだら、きっと世間的な「成功」にも役立つはずだ。

独学ということが、会社を立ち上げることや家づくりにもかかわるなら、やはり「勉強法」や「知の技術」は、何かと使えるということだろう。最初のほうでは「役立たない」と言ったが、じつはそうでもないようだ。

独学術は、会社員などの組織人としてのときよりも、一個人として自分が本当に実現したいことをかなえるうえで役に立つ。つまり、「個として生きるためのエンジン」となるのである。

 (つづく) 


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