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リベラル(リベラリズム)・保守・新自由主義・ポピュリズムとは さまざまな政治思想・主義の入門的な解説

選挙などで政治がとくに話題になるとき見聞きする「リベラル」「保守」「新自由主義」などの、政治的立場にかかわる用語。それらの意味や成り立ちについて解説します。


目 次

 

リベラルとは何か

まず取り上げたいのは「リベラル」です。リベラルとは、つぎのような政治的立場です。

価値の多様性を前提として、すべての人に自由に自分らしい生き方ができるように、政府が富の再配分の政策を積極的に行うべきとする立場

つまり政策的には、積極的に福祉やサービスを国民に提供する「大きな政府」を志向する傾向があります。失業給付や年金は手厚く。医療・介護、教育のサービスは、誰もが十分に利用できるように。

また、思想・文化的には、伝統や慣習から人びとが解放されることを強く志向しています。人はそれぞれの価値観で自由に生きるべきである。それは性別や民族などを問わない。

だから、女性の解放は重要なテーマだし、LGBTへの理解も「人それぞれ」「自分らしく」を尊重する意味で大事。外国人に対しても解放的で、自国で生まれた人間と平等に扱うべきだとする。

アメリカの2大政党では、民主党の「左派」といわれる人たちがリベラルの中核です。今の日本では、一応は立憲民主党がこれにあたるとされますが、それには異論もあるなど「何がリベラルか」がはっきりしないところがあります。あとで述べるように、日本ではリベラルの伝統が弱いのです。

 

リベラルの歴史

リベラルの歴史は、短くみて100年ほど前にまでさかのぼります。さらにその源流をたどれば、300年以上の歴史があります。

1600~1700年代の西欧で成立した、リベラリズムの源流といえる「古典的リベラリズム」は、国王の政府による横暴な支配からの自由を主張する思想です。

その最大のキーワードは「基本的人権」です。その人権の思想では、身体・生命とともに財産権の保障も重視されました。財産は自由の基礎ということです。

リベラリズムの訳語は「自由主義」ですが、自由主義という場合、多くはこの古典的リベラリズムを指します。

古典的リベラリズムは、イギリス革命、アメリカ独立、フランス革命の思想的な根拠となりました。

これらの市民革命の時代を経た1800年代は、古典的リベラリズムの黄金時代でした。そして当時は、政府は社会・経済にあまり介入すべきではないという「自由放任主義」が有力でした。

これは資本家などの富裕層には自由にビジネスができて有利でしたが、貧富の差が大きく拡大して、貧困などの社会問題が深刻化します。

その問題を克服しようと、1800年代後半には資本主義を否定する共産主義・社会主義が台頭しました。しかし一方で、資本主義を肯定しながら、政府の積極的な関与によって社会の問題を解決すべきという思想も生まれています。

1900年頃に成立したリベラリズムは、このような流れに属する代表的な思想です。最初は古典的なリベラリズムに対して「ニュー・リベラリズム」といいましたが、のちに単にリベラリズムというようになります。この1900年頃以来のリベラリズムは、現代は略して「リベラル」と言うことが多いです。

1900年代前半のうちに、リベラリズム(リベラル)は有力な政治思想となりました。第二次世界大戦後(1945以降)には、欧米の先進国は程度の差はありますが、リベラリズムに基づく政策を採用しました。

これは、世界大戦の痛手から立ち直ろうとする時代に、社会が団結し安定するにはリベラル的な方針が有効だと、政治家・経営者・一般国民の多くが考えたからです。リベラリズムに反対する保守層や、共産主義・社会主義もかなり有力でしたが、主流にはなりませんでした。

また、同時代に有力となった「ケインズ経済学」が、リベラルの政策を理論的に支えました。この理論は「自由放任」を否定し、経済の安定に政府の積極的な介入が必要だとするものです。

1950~60年代は、リベラルの黄金時代です。また、リベラルな政策の成果かどうかは議論の余地がありますが、1950~60年代は欧米諸国の経済はおおむね好調で、高い成長率を維持しました。

その結果欧米では、戦前にくらべて生活水準は大幅に向上して格差も縮小し、さまざまな政策によって失業、病気、老後などの不安もかなり軽減されたのです。

 

保守とは何か

一方「保守」という立場があります。リベラルに対抗するものとして、やはり長いあいだ力を持ち続けている。

「保守」を定義すると、つぎのようになるでしょう。

伝統や慣習を重視して、リベラルが言う価値の多様性や人びとの解放、政府による積極的な社会への介入といった理念や方針に「待った」をかける立場

保守に言わせれば「頭で考えただけのリベラル的な理想は、その多くが人間や社会の本来のあり方に反している。現実の社会に深く根付いた伝統や慣習をもっと尊重すべきだ」ということです。

伝統的な社会では、政府のサービスよりも家族や地域での助け合いがまず大事でした。保守は「政府に頼る前にまず、家族や地域で何とかするのが本来のあり方」と考えます。だから保守は「小さな政府」志向です。

また、男女には伝統的にそれぞれの役割や立場があるということで、リベラル的な女性の解放には消極的。LGBTは、本来の家族のあり方に反する非常に好ましくないこと。

そして自国の伝統を大事にする考えは、「国家は何よりも大事」だというナショナリズム(国家主義)や、外国人やマイノリティの民族に対する排他的・差別的な意識につながる傾向があります。

そして、伝統社会では家父長の権威が強かったので、国のリーダーは国民全体の家父長のようであるべきだと考える。リーダーが「こうあるべき」という価値観や方向性を示して国民を導くのが、あるべき姿だということです。

このように「家父長的な権威」で人を導くことを「パターナリズム」といいます。保守にはパターナリズム的な傾向があるということです。

アメリカの2大政党では、共和党の主流派はここでいう保守にあたります。日本では代表的な保守といえば、自民党のかなりの人たちが該当します。

 

保守の歴史

保守の歴史は、敵であるリベラリズムとともにありました。つまり、古典的リベラリズムが市民革命で勝利した時代から、保守という立場が自覚されるようになり、現在にまで続いている。

市民革命直後の時代には、保守とは革命以前への回帰を志向する思想でした。

しかし、時代とともに保守の中身も変わってきます。1900年代にリベラルが有力になって以降は、古典的リベラリズムの「自由放任」的な世界への回帰が、多くの保守のめざすところとなりました。これは「世界大戦以前(戦前)への回帰」といってもいいです。

ただし、保守のなかでも「回帰すべき時代や体制」のイメージは、人によってちがいます。たとえば戦前ではなく「1950~60年代の古き良き時代がいい」という人もいる。「回帰すべき過去」は現実のものではなく、理想化された過去という面もあるかもしれない。そもそも「伝統の重視は過去への回帰とはちがう」という主張もあります。

 

保守と革新・戦後の日本政治の対立構造

以上述べた「リベラル」と「保守」は、現代の政治の最も基本となる2大勢力です。この2つの政治的立場についておさえることが、まず重要です。

ここで、中年以上の年齢の方は「昔は〈保守と革新〉というのがよく言われていたけど、あれとはちがうの?」と思うかもしれません。少し説明します。

「保守vs革新」と「リベラルvs保守」は、やはり区別すべきです。

戦後の昭和から平成の初めまで、日本政治では「保守vs革新」という対立構造で語られるのが一般的でした。この場合の「保守」は「資本主義を支持する」ということです。「革新」というのは、「資本主義を廃して社会主義や共産主義の建設をめざす」立場をさしました。保守のことを「右」、革新のほうを「左」ということも一般的でした。

政党としては1955年に自由党と日本民主党が合同して結成された自由民主党(自民党)が保守を代表し、それ以前からあった日本社会党と日本共産党が革新を代表しました。「55年体制」といわれるこの構図が1990年頃まで続き、冷戦終結のあとで変化していきます。55年体制では自民党の政権が続き、革新の側は野党でした。

また、自民党は「現行憲法はアメリカの押しつけによるものなので、自主的な憲法制定あるいは憲法改正が必要」というのが基本で、革新側の野党は「現行の平和憲法を守れ」という立場でした。

なお、日本社会党は今の社会民主党(社民党)の前身です。近年の社民党はわずかの国会議席しか持っていませんが、55年体制の時代には最大野党でした。

そして、ここで述べてきたリベラルにあたる勢力は、日本では長いあいだ不明確でした。

そもそも戦前から日本では、古典的なリベラリズムもその後の新しいリベラリズムも、有力ではありませんでした。明治・大正の指導的な人びとは富国強兵に必死で、そのために国家が社会に介入し、自由を制約するのは当然だと考えました。福祉などの公共サービスの充実も、貧乏国の日本では論外だというのが一般的でした。

大正期になると、日本でもリベラルといえる知識人がかなりあらわれましたが、影響力はかぎられました。社会問題に深く関心を持つ人たちは、共産主義や軍国主義のほうに惹かれていきました。

そこで、戦後になってもリベラルの影は薄く、軍国主義が崩壊したあとで、共産主義・社会主義と資本主義が対立する構図となったのです。

 

自民党内の「リベラル」

ただし、リベラル的な勢力が、戦後の昭和に存在しなかったわけではありません。

自民党は資本主義を維持しようする点では一致していても、じつはいろいろな人たちの集まりで、戦前への回帰をめざす人もいれば、リベラルに近い人もいました。これは今も基本的に変わっていません。

そして、自民党内では有力派閥の宏池会(こうちかい)などの「ハト派」(平和主義者)といわれる人びとには、リベラル的なところがあったといわれます。この集団からは何人かの総理大臣が出て、戦後の日本の方向性に大きな影響をあたえています。

その意味で戦後の日本も、リベラルが有力だった欧米の動きと重なっているのです。ただし、このような自民党内の「リベラル」は、アメリカのリベラルほどの系統だった政策の考え方を持っていたわけではなく、あくまで「比較的リベラルだった」ということです。

一方、革新のなかにも、資本主義の打倒ということに懐疑的なリベラルに近い人びとがいました。

しかしそれは革新のなかでは反主流です。革新の人びとは、政策として公共サービスの充実をかかげる傾向はありました。しかしその多数派の根本にあるのは、資本主義の打倒です。それを革命で行うのか議会政治を通して徐々に行うのかなど、いくつかの立場はありますが、いずれにせよ資本主義を肯定するリベラルとは基本的に異なるのです。革新のなかには公共サービスを「資本主義の延命策」だとして否定的にとらえる者もいました。

このように、「保守vs革新」と「リベラルvs保守」は異なるものだといえるでしょう。

 

新自由主義の台頭

欧米諸国では、1950~60年代にリベラルは優勢でしたが、それが1970年代になると変わってきます。リベラルへの疑問や批判がいろいろと起こったのです。

その背景には1973年のオイルショックの頃から経済成長が鈍くなり、経済の不調が続いたことがあります。成長が鈍化した原因については、「産業構造が従来の製造業中心からサービス業中心へと変化して技術革新による生産性向上の余地が減ったこと」など、いろいろと言われていますが、ここでは立ち入りません。

経済が不調になれば、体制への疑問が生じます。リベラルの政策は正しいのか?ということです。

このような風向きのなかで、1970年代後半以降、新たなかたちの保守が台頭しました。

この動きは現代的にリニューアルされた自由放任主義で、「新自由主義」(ネオリベラリズム)といわれます。現代の保守の主流は、新自由主義に大きく影響を受けています。

イギリスのサッチャー首相(在任1979~90)、アメリカのレーガン大統領(在任1981~89)は、新自由主義を代表する保守の政治家です。彼らは「小さな政府」を主張しました。ただし従来の公共サービスを全否定するのは現実的ではないので、「ムダを削減する」のです。

新自由主義の政権がとった政策は、公共サービスや公共事業の(一定の)削減、公営事業の民営化、規制緩和による競争促進、労働者保護を弱める、企業や高所得者にとくに有利な減税などです。これによって経済・社会を活性化していく、ということです。

つまり、政府のムダなサービスや活動、弱者への過剰な保護、そのための重い税金が社会・経済の活力を削いでいると考えたのです。同時代において、その主張はかなりの説得力を持ちました。

新自由主義は、経済学の理論にも支えられていました。その経済学は自由放任主義を現代的に理論武装したもので、「政府は金融政策などの限られたことだけを行い、あとは市場に任せるべき」という主張でした。

そしてそれは、グローバル化した経済で成功した企業にとっては、活動の自由を後押しする、望ましい理論でもあったのです。

しかしサッチャー政権やレーガン政権は、結局「小さな政府」を十分に実現できず、財政の悪化もすすみました。さまざまな既得権の壁があり、また高齢化がすすんで政府の負担が大きくなるなど、小さな政府の実現をむずかしくする要因が多々あったからです。

 

1970~80年代以降の日本

そして新自由主義は、1980年頃以降、日本の政治にも影響をあたえました。80年代に有力なトップリーダーだった自民党の中曽根首相(在任1982~87)は、(異論はあるものの)新自由主義の政治家とされることがあります。ただし、当時の自民党でもリベラル的な人びとはかなりの力を持っていました。

また、80年代の日本では年金などの社会保障の拡充がすすめられ、現在の直接の基礎が固まるということもありました。これは、経済大国になったので、欧米の後を追ってリベラル的な政策を取り入れたのです。

また、70年代からは全国各地で、空前の規模で多くの公共事業がすすめられました。そこには、必要なインフラの整備ということだけでなく、地方への富の分配という面もありました。

こうした政策によって日本における保守、つまり自民党はさらに国民の支持を強固にしました。その結果、社会の保守化がすすんだともいわれます。一方革新勢力は80年代には後退し、90年頃にソ連などの社会主義体制が崩壊してからは、まったく力を失いました。

その後、2000年代になると、自民党の小泉首相(在任2001~2006)は郵政事業の民営化を訴えて支持を集め、規制緩和や公共事業の削減に積極的に取り組むなど、明らかに新自由主義的な政策を行いました。新自由主義的な路線は、第二次安倍政権(2012~2020)にも引き継がれました。

 

リベラルと保守のアップデート

90年代から2000年代にかけて、欧米におけるリベラルと保守は、どちらかが完全に優勢になるということもなく対峙する状態が続いたといっていいでしょう。ただし、新自由主義的な経済政策は、この30~40年は先進国で力を持ち続け、格差拡大を後押ししたといえます。ただし、このあたりは議論もあるところです。

その間にリベラルと保守それぞれの内部で、政策や方針をアップデートすることも行われ、現代的なあり方が明確になっていきました。

リベラルの側で重要なこととしては、1970年頃までの公共サービスの画一性についての反省があります。

かつての政府による給付やサービスは、「工業中心の経済」「働き手といえば正規雇用の男性」等々の前提に立っていました。しかし、70年代以降は先進国ではそのような前提が崩れて、ニーズが多様化していきます。

そこで、それに対応するさまざまな制度設計を模索しはじめたのです。また、「困ったときに支援する」という従来のあり方だけでなく、職業訓練などの「困らないため」のサービスやケアを重視するようにもなりました。このような模索は今も続いています。

保守の側では、たとえば経済政策として、国民を労働へと動員することを重視するようになりました。

サッチャー首相は「失業給付で怠惰が生じている」ということを主張したので、その思想が政策として明確なかたちをとったということです。

失業して待機する状態は最小限に。家庭にいる女性や高齢者もできるだけ働いてもらう。そのための制度設計を行い、経済の生産性を高める。第二次安倍政権がかかげた「一億総活躍社会」における労働政策の基本もこれでした。

この背景には、高齢化で生産年齢人口が減っていることがあります。さらに、技術革新や新しい産業による経済成長が停滞気味なことも、関係があるでしょう。

 

文化的領域での対立の激化

また、1970~80年代に源流があって、90年代以降にさらに明確になった傾向として、リベラルと保守の対立が文化的な領域でさらに激しくなったことがあります。

昔のリベラルと保守の対立は、「政府による富の分配」のことがメインで、文化的な対立は重要ではあっても優先順位はやや低かったのです。しかし、現代の「リベラルvs保守」では、文化的領域のほうでより多くの論戦が行われているはずです。

フェニミズム、ジェンダー、LGBT、家族、歴史認識…これらに関するリベラル的な人たちと保守的な人たちの意見対立を、私たちはネット上をはじめ、さまざまな言論の場で山ほどみています。

そうなった原因はいろいろあるはずですが、基礎的な背景として、経済成長の結果多くの人の教育水準が上がって、こうした文化的議論に関心を持つ層が厚くなったということはあるでしょう。さらに、インターネットの発達で、人びとが議論に参加しやすくなったことも確かです。

 

日本における「リベラルvs保守」の構図の形成

日本で、ここで述べたような「リベラルvs保守」の構図がある程度形成されたのは、1990年代に入ってからです。

とくに、かつて存在した国民新党などの(非自民・非共産の)勢力が政権をとった1993年頃には「リベラル」という言葉が新聞などに頻繁に出るようになったといいます。自民党に対抗するものとして、これまでの「革新」にかわって「リベラル」という立場が意識されるようになったのです(なお、この非自民の政権は1994年で終わり、その後は自民党中心の連立政権となった)。

ただし、国民新党やその周辺で「リベラル」と称した人びとは雑多で、ここで述べたリベラルの定義にあてはまらない人も少なくありませんでした。たとえばこれまでの「革新」というかわりに「リベラル」と称しただけの人もいたわけです。

また、もともとは自民党だった「保守」や「新自由主義」に属する人たちも、93~94年の非自民の政権では有力だったので、これが「リベラルの政権」だったとはいえません。むしろ、新しいかたちの保守として当時はみられました。しかし、一定のリベラル的な人たちもこの政権にはかかわっていました。

そして、幅広い「寄せ集め」ということは、2009~2012年の民主党政権についてもいえるでしょう。

寄せ集め的な政党は、政策の系統性や個々の取り組みが弱くなりがちです。民主党政権では、格差是正などのリベラル的な政策とともに、「事業仕分け」という行政のムダを削減する新自由主義的な政策も重視されました。

これに対し、民主党政権のあとに成立した自民党の第二次安倍政権(2012~2020)では、保守としてかなり一貫性のある政策がとられました。

アベノミクスは新自由主義で重視される金融政策(金融緩和)が最大の柱で、「一億総活躍社会」(国民の労働への動員)も、現代の保守における一般的な政策です。家父長的な権威を重視する傾向も、まさに保守です。

そしてこのような保守の政権が続いたことで、それに対する「リベラル」についての認識や自覚が、日本でもある程度は深まったのです。しかし、「日本ではリベラルの概念はまだまだ混乱している」という見解も、識者のあいだであるようです。

 

ポピュリズムとは何か

最後に、近年の世界で台頭している「ポピュリズム」について。その歴史的な経緯は省略して、その中身の概略だけをここでは述べます。

ポピュリズムは直訳すれば「大衆迎合主義」ということですが、有力な定義がまだありません。

なお、ポピュリズムというのは批判的な立場からの一種の蔑称です。政治家や知識人がリベラルや保守を自称するのは普通のことですが、自分をポピュリスト(ポピュリズム側)と称することは、まずありません。

今の世界ではさまざまな国で「ポピュリズムの政権」といわれるものが存在し、アメリカのトランプ政権(2017~2020)もそのひとつだったとされることが多いです。

これらに共通する要素としては、まず「反リベラル」ということがあります。たとえば、移民に対してリベラルが解放的であることを、ポピュリズムでは強く非難するわけです。そのことがポピュリズムの大きな柱となっている。そして移民排斥の主張は、一種のナショナリズム(国家主義)ともつながっています。

ならばポピュリズムは「保守」なのかというと、少なくとも現代の保守の主流である新自由主義的な立場とはかなりちがいます。

たとえば、新自由主義の経済論では、グローバル化は肯定されるものでした。しかし、ポピュリズムでは一般にグローバル化はさまざまな問題の根源とされます。

たしかに移民が増えたことはグローバル化と関係がありますし、グローバル化による国内産業の空洞化(国内工場の減少など)で職を失った人は、ポピュリズム支持者の重要な部分をなしています。

また、一般的な保守は、政府による給付全般について消極的な傾向がありますが、ポピュリズム的な人びとのあいだでは、自国生まれの国民(移民ではない人)には手厚い保障や給付を行うべきという主張もなされます。また、景気対策としての公共事業にも積極的な面があるのです。つまり、かならずしも「小さな政府」ではない。

このように従来の一般的な「保守」の枠組みからは外れるところが、ポピュリズムにはあるわけです。

 

さいごに

以上、ざっと見わたすかたちで「リベラル」「保守」「新自由主義」「ポピュリズム」という、現代政治でとくに重要な立場について説明しました。

どの立場に対してもできるだけ客観的に突き放して述べたつもりです。だから、特定の立場の支持者からみると、その記述に不満が生じたかもしれませんが、その場合はお許しを。

ところで、ここに述べたどの政治的立場でも、明確に自信を持って方向性を示せない問題が、少なくともひとつあると思います。

それは、高齢化などにともなう財政の悪化です。別の言い方をすれば、政策を行ううえでの「財源」の問題です。

経済成長が順調だった1950~60年代のリベラルは、「財源」の問題にはあまり悩まなくて済みました。政府が大きくなるのを、成長する経済が支えてくれました。だから、政策的にかなり安定した状態が20年ほどは続いたのです。しかし、1970年代に経済成長が鈍ると、いろんな問題が生じたわけです。

そして現在は超・高齢化で財政は一層深刻な状態になり、経済の生産性を上げることもさらに困難になっている。少なくともそういう認識は広がっている。

そこで、リベラルも保守も、それぞれの政策における「財源」の問題を、説得力のあるかたちで説明するのがむずかしいのです。そして、財源確保のための大幅な増税ということは、政治家はなかなか主張できない…

うーん、とても答えは出ないので、ここで終わりとします。読者の方が現代の政治を考えるうえで、少しでもこの記事が役立てばうれしいかぎりです。

 

参考文献

おもに下記の田中拓道さんの著書を参照しました。この記事のテーマに興味のある方におすすめできる、良い概説書です。

 

以下の本も参照しましたが、必ずしも記述に直接は反映していません。しかし、どれも一読に値する本だと思います。とくにハーヴェイの『新自由主義』は、この分野の有名な本。

 

 

 

 

 

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