そういち総研

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株式会社の誕生とその意義・「起業」が近代社会を切りひらいた

はじめに

株式会社は、近代社会の核となった重要な制度だ。この制度はいつ頃どのようにして生まれたのか?また、どのような意味を持つものだったのか?

ヨーロッパで始まった近代社会では、物理・化学などの科学と、それを応用した科学技術が、社会を発展させる大きな力となったことは広く認識されている。しかし一方で、株式会社や保険のような社会的なしくみも、きわめて重要だった。そのことをこの記事では説明していきたい。

株式会社や保険のような社会的な制度のことを、ここでは「社会の技術」と呼ぶことにする。「社会という対象に働きかけるノウハウ」ということだ。そのノウハウの基本は「しくみづくり」「制度設計」ということである。

いわゆる科学技術と社会の技術は、じつは車の両輪のようなものだ。

目 次

 

フランクリンの会員制図書館と「基金」

もう少し「社会の技術」について説明しよう。そこで古典的な例として、ベンジャミン・フランクリンのことを取りあげたい。

フランクリン(1706~1790)は、ワシントン、ジェファーソンと並ぶアメリカ独立の功労者である。電気学などの科学研究やさまざまな社会事業でも活躍した。

そのフランクリンが若いころ、1730年代の植民地時代のアメリカでのこと。彼と仲間たちは、定期的に集まって勉強会をひらいていた。彼らは「もっと本を読んで勉強したい」と考えた。そして、「みんなで自分の本を持ち寄って、会員制の図書館をつくる」ことを思い立ち、実行した。まだ公立の図書館などなかった時代である。

しかし、これはうまくいかなかった。各々がなくしてもいいようなダメな本しか持ってこない。良い本が持ち込まれても、なくなってしまうことがある。これでは本は集まらない。

そこでフランクリンは図書館を「大勢から小口の会費を集めて基金をつくり、それで本を買う」方式に切り替えた。すると、蔵書は充実し、会員も増えて大成功。

(『フランクリン自伝』岩波文庫、板倉聖宣・松野修編『社会の発明発見物語』仮説社、1998年による)

最初の「持ち寄り方式」は、「自分の大事な本をみんなに無償で差し出す」という自己犠牲が必要だった。しかし会費制だと、各人に無理を強いることなく全体の利益を実現できる。そこが重要だった。

このときのフランクリンは、会員制図書館という社会的なしくみを発明したのである。これは「図書館会社」などともいわれる。

これをさらに一般化すると「多くの有志から資金を集めて公益を実現するしくみ」をつくったということになる。そのポイントは「権力の強制や伝統的な慣習によらず、賛同した市民の自発性に基づいて資金を集める」ということだ。

「強制や慣習によらない資金を人びとから集めて事業や組織をつくる」というのは、近代以降に確立した「社会の技術」の基礎である。

ところで、この技術に一般的な名前はあるだろうか? どうもはっきりしない気がする。ここではとりあえず「基金」と呼ぼう。

フランクリンはこのような「基金」づくりの名人だった。フランクリンは図書館のほかにも「基金」で運営する「町の道路清掃を行う専従スタッフ」や「夜の見回りをする自警団」を組織したりもしている。

これは、当時は行政のサービスが未発達だったので、必要な公共サービスを市民が自分たちの手でつくったということだ。それは当時、必ずしも一般的なことではなかったが、フランクリンのようなリーダーがいる土地では実現することがあった。

 

基金による営利目的の組織が「会社」

そして、「基金」による事業や組織は、目的によって大きく2つに分かれる。ひとつは公益を目的とするもので、「非営利」ともいう。フランクリンの図書館はこれだ。現代では「NPO」「公益法人」などの非営利法人がこれに該当する。

もうひとつは営利目的、つまり金銭的な利益を目的とするものである。

そして、「基金による営利目的の組織」のことを「会社」というのである。その最も代表的なものが株式会社だ。

そして、株式会社は近代社会における「社会の技術」の最高のものではないかと、私は思う。だとすれば、株式会社について考察すると、近代社会の核心がつかめるはずだ。

 

株式会社とは何か

株式会社とは、シンプルに定義すると、つぎのようなしくみである。

不特定多数の人間が出資額に応じてビジネスを所有し、ビジネスからあがってくる利益を出資額に応じて受け取ったり、その権利を他人に譲渡(販売)したりできるしくみ

株式会社とは、言ってしまえばそれだけのことにすぎない。

しかし、このしくみが社会にあるとないとでは大ちがいだ。株式会社は、社会において重要な役割を果たしている。

では、その役割とは何なのか? それは「社会において仮説実験を行うための装置」ということではないか。

何ごとも、新しい何かを切りひらくには、「これはこうなのでは」という予想や仮説のもとで、実際に行動を起こしてみるしかない。行動の結果、実際にどうだったのかが実験的に明らかになる。

このような「仮説実験」は科学の研究では一般的なことだ。そして社会が発展するうえでも、同じようなプロセスはくり返されている。たとえば新しい事業を起こすこと=起業は、まさに一種の仮説実験である。

しかし、社会での実験では、自然科学の研究以上に人や資金を集めないとできないことも多い。また、実験の結果が明らかになるまで、長い年月がかかることも少なくない。実験を行う人にとっては、まさに人生をかけることになる。

もし、株式会社というしくみがなかったら、社会的な実験(とくに大規模なもの)を行おうという人は、つねに多額の資金を自分のポケットから出して、全人生をかけなくてはならない。それでは「実験」に挑戦しようという人は、なかなか出ないだろう。

しかし、株式会社という大勢から資金を集めるしくみがあれば、ひとりでは「実験」のための資金が足りないという人が実験できるようになる。

また、失敗のリスクやダメージも、ひとりが背負うのではなく大幅に分散される。「実験」を企画・推進する人も、それに出資者として参加する人も、人生や全財産をかけずにすむ。そうなると、社会的な実験がずっとやりやすくなる。

このような「社会の技術」が発明されたことによって、近代社会は大きな推進力を得た。

ちょうどそれは、いわゆる科学技術の分野でいえば蒸気機関の発明のようなものだと、私はイメージしている。株式会社というのは「社会の蒸気機関」なのである。

 

一般的に言われる「株式会社の特徴」

なお、会社法の解説書などで「株式会社の特徴」としてあげられる以下のような事柄は、もちろん重要なのだが、派生的なことだと思う。

・権利譲渡しやすいように、権利を〈株券〉というかたちにする(証券化)

・出資者は、出資額の分だけお金を失うリスクを負うのであって、会社の負債(借金)に対する責任はない(有限責任)

・出資額(ビジネスの持ち分)は一定の割合的な単位に分割されている(単位化された株式)

・会社の設立は、一定の手続き的な要件を満たせば自由にできる(会社設立の自由)

これらの事柄は、「出資額に応じたビジネスの所有」という制度に、より多くの人が参加しやすくなるための、つまり「仮説実験」を促すための技術的な改良・バージョンアップなのである。

歴史的にみて、初期の株式会社はこれらの「株式会社の特徴」が明確でないことが多かった。株式会社の設立そのものも、国家が制限する傾向が強かった。

しかし、1800年代になるとイギリスをはじめとする西欧の先進国では、これらの「株式会社の特徴」は一般的になっていった。そして現代の株式会社に直接つながっていく。

 

株式会社はいつ誕生したか

「株式会社はいつ誕生したか」ということは、これまでずいぶん議論されてきた。そのときに、今述べたような「株式会社の特徴」を満たしていないからといって「それはまだ株式会社ではない」などとこだわってはいけないのだと、私は考えている。

知っている人も多いとは思うが、株式会社の発生についての古典的な説は「アジア貿易を目的として1602年に設立されたオランダ東インド会社である」というものだ。

しかし、それ以前にも「出資額に応じたビジネスの所有」という形態はあった。

中世のイタリアでは、貿易商人が資金を出し合って船舶を共同所有し、航海によって得た利益を出資額に応じて分配するしくみが存在していた。船舶に対する持ち分は、株式のように譲渡や相続が可能だった。

だが、今から半世紀以上前に株式会社の発生についての「通説」をつくった学者たちは、「こういうのはまだ株式会社とはいえない」と主張した。

それは「出資者の範囲が狭く限定されている」「出資者の有限責任が確立していない」「現代につながる近代的な株式会社への影響関係がはっきりしない」といった理由からである。だから、本当の株式会社の起源はオランダ東インド会社なのだと。

(参考:大隈健一郎『株式会社法変遷論』有斐閣、1953など)

しかし、その後の研究で現代のかなりの学者は、こうした古い「通説」には従わず、1600年頃以前にすでにイタリアやオランダやイギリスなどに存在した、今の株式会社に似たいろいろな会社組織が「株式会社のはじまり」だと考えている。

ただし、それらについては明確に「株式会社」とは呼ばずに、たんに「会社」「企業」などと呼ぶことが多い。しかしそれらは「株式会社」の原型なのだ。

たとえば、1500~1600年代のイギリスで設立されたさまざまな「会社」「企業」を研究した歴史家ジョオン・サースクは、つぎのように述べている。

“十六世紀のイギリスについてほとんど知らない者でも、企業の開始を本気で一六〇三年[イギリス会社設立がさかんになったジェームズ1世の治世のはじまり]と考えることはないであろう。発明と実験の潮流は、[その]五〇年も前から勢いよく流れていた”

(サースク『消費社会の誕生 近世イギリスの新企業』東京大学出版会、16㌻)

 

近代初期イギリスの「ベンチャー企業」

1500年代半ばくらいから、イギリス(イングランド)では組織をつくって新しいビジネスを開拓するという「ベンチャー企業」の設立がさかんになった。「ベンチャー」は、もともと「冒険」を意味する当時からの呼び方だ。

それらの「ベンチャー企業」の事業は、東インド会社のような貿易関係の場合もあったが、国内向け商業、毛織物やガラスなどの製造業、ビール醸造、鉱山、菜の花やタバコなどの商品作物の栽培、漁業、海運、ロンドンなどの市街地開拓、テムズ川などの河川改修、新大陸での植民地建設、はては「海賊業」などさまざまな分野にわたっていた。

(前掲のサークスの本のほか、川北稔『洒落者たちのイギリス史』平凡社ライブラリー、1986年などによる)

これらの「ベンチャー企業」は、他人からの出資を受けていない個人商店もあったが、多数の人の出資で設立されたものもあった。

どのくらいの範囲から出資を募ったのか、「持ち分」の流通性(売買のしやすさ)や出資者の有限責任がどうだったのか、といったことはそれぞれの会社によってちがっていただろう。

しかし、これらの「ベンチャー企業」はみな「配当などの利益目的の出資者が出資額に応じてビジネスを所有する」というしくみでできていた。つまり、まぎれもなく株式会社の原型だったのだ。

「初期の株式会社」というと、まず「東インド会社」のイメージがあって、「国王の特許」とか「海外貿易」といったことが語られがちである。しかしここで述べている「ベンチャー企業」は、その多くが国王の許認可とは無関係だったし、貿易に関する会社もほんの一部に過ぎない。

こうした「初期の株式会社」のことは、世の中では限られた人にしか認識されていないが、もっと知られていいと思う。

1500年代、とくにその後半は、イギリスでは経済がにわかに活気づいて、さまざまな新しい需要と供給が起こっていた。そうした動きを引っ張っていたのが、そのころさかんに設立された、多くの株式会社的なものを含む「ベンチャー企業」だった。

この動きは、蒸気機関の発明などによる、いわゆる産業革命よりも200年以上はさかのぼる。

1700年代後半以降のイギリスで産業革命を具体的に担ったのは、巨大な設備投資が可能な、本格的な株式会社の組織である。そのような会社が生まれる前程として、じつは1500年代からさまざまな会社組織による実験が積み重ねられていたのだ。

その意味で、1500年代のベンチャー企業によるさまざまな「起業」が、近代社会を最も早くから開拓したともいえるのである。「起業」が近代を切り拓いたのだ。

 

1500年代の有望な「新産業」

「ベンチャー企業」設立の時代が始まって間もない1549年に、トーマス・スミスという当時の政治家兼学者がつぎのように述べている。その内容は現代社会で「新しい産業が多くの雇用や需要を生み出し、経済が発展する」というのと同じようなものだ。

少し長くなるが引用したい。当時の産業や社会の様子が伝わってくるからだ。

“とくに私が希望したいのは、羊毛、毛皮、錫のようなわが国の品物を原料とする品を、海外から輸入して国内消費にあてるようなことはやめて、すべて国内で製造すべきだ、ということです。…現に海外では、こういう品物で二万人の人びとが仕事にありついているのですから、この国[イングランド]でも、それによって二万人の人びとを確実に仕事につけてやることができるでしょう”

“それはどういう品物かと申しますと、あらゆる種類の織物、ガージー織、薄手毛織物、掛けぶとん、つづれ織りのじゅうたん、袖、ズボンとペチコート、帽子類、それから上製・粗製の紙、羊皮紙、子牛皮紙、それに手袋やとめひもや帯や皮ジャケット用の獣皮といったあらゆる種類の皮製品、また錫製のいろいろな種類の器、同じくあらゆる種類のガラス製品、陶製のつぼ、テニスボール、ゲーム台、かるた、チェス――こういうものもやはり必要でしょうからね――そして短剣、ナイフ、ハンマー、のこぎり、のみ、おのというような鉄製品など、ざっとこんなものですよ”

(『イングランド王国の繁栄についての一論』より。この本は対話形式で書かれている。出口雄三訳。『近世ヒューマニズムの経済思想』有斐閣、1957に全文収録。同書138㌻)

トーマス・スミスがこのように列挙した有望な産業分野については、当時「自分も事業に参入して一儲けしたい」と考える人が多くいたことだろう。

 

株式会社は社会の「実験」を推進する装置

しかし、こうした起業を志望する人のうちは多くは「必要な資金が足りない」ものである。一方で「多少の資金はあり事業に関心はあるが、自分で経営するほどではなく、ノウハウもない」という人もいる。

株式会社というしくみがあれば、この両者が結びついて新しい事業をおこすことができる。そのしくみがなければ「やる気はあるが資金はない」という人は資金のないままで、何も起こらない。

起業は、典型的なひとつの「実験」である。前に述べたように、株式会社というしくみの誕生は、社会全体でたくさんの「実験」を推進する装置がつくられたということなのだ。その装置は、社会を動かす蒸気機関のような原動力となったのである。

そして、近代の科学や技術だけでなく、株式会社もまた「仮説実験」ということが深くかかわるのだとしたら、近代の社会や文明の核心には「仮説実験のプロセスの強化」ということがあるのではないか。そんなこともぼんやりみえてくるように思う。

 


参考文献

サースクの本は、今年(2021年)に文庫版が出たので、手軽に読めるようになった。この本を20数年前に読んだとき、新しい歴史のイメージがひらける感じがあった。ただし読みやすい本ではない。1500~1600年代のイギリスの「起業」「ベンチャー」については川北稔の本のほうが一般読者向けに書かれていて読みやすく、背景や関連知識も得られる。関心を持たれた方は、川北の本をまずおすすめするが、サースクの本もやはり読む価値がある。

 

 

 

 

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