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日本と世界の文化で創造の活力が低下している? 今年見た展示などを振り返って・高畑勲展ほか

 今年2019年に見にいったいくつかの展示や作品……建設中の国立競技場、高畑勲展、建築家のアアルトやル・コルビュジエ、現代芸術のトム・サックス展。どれも興味深かった。一方で「今の時代は画期的な新しいものが生まれにくくなっている」という、創造における「活力の低下」ということも感じた。

 

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目 次

 

 少し早いけど、今年見た展示・作品を振り返る

出不精で、そんなにいろいろなものを見にいくほうではないが、ときどき興味を持った展示や施設を見に出かける。画像ではない、現物ならではの情報量・迫力というのは、やはり良い。今年も何度か見にいった。もう10月なので、少し早いけど私が見た「今年の展示・作品」について振り返る。

私が見た展示などの分野は、それぞれ異なっている。たとえば建築、アニメ、現代芸術……しかし、そこには共通する現象があると思う。

それは「日本や世界の文化で、創造性や活力が低下している」ということ。

もう少し丁寧に言うと「いろんな分野で、画期的な新しいものが生まれにくくなっている」ということだ。あるいは「フロンティア開拓の時代の終わり」といってもいい。このことは以前から思っているが、「現物」を通してあらためて感じたのだ。今回はそのテーマに沿った展示などにかぎって取り上げよう。

 

建設中の新国立競技場

5月のゴールデンウィークに、工事中の新国立競技場を見にいった。巨大だが周囲にもなじむ、調和のとれた立派な建築だ。しかし一方で「ものすごい」という感じはしなかった。あれだけ大きな建物なのに、おどろきがない。そもそも設計者の隈研吾(1954~)には、この建物で「人をおどろかせる」などというつもりはないのだろう。

一方で、新国立競技場の設計のコンペでいったんは採用され、その後ボツになった「ザハ案」は、人をおどろかせる「びっくり建築」だった。ザハ案は、イギリスを拠点とする女性建築家ザハ・ハディド(1950~2016)によるもので、いかにも未来的でとんがったデザイン。技術的にも挑戦的な要素が多々あったようだ。プランをもとに精査すると、予算があまりにぼう大になってしまうことがわかってボツにされてしまった。

私は、もともとはザハ案が好きではなかった。「あんなUFOのオバケみたいなもの」と思っていた。しかし建設中の新国立競技場の前に立ってみると、これほどの巨大さであの「UFOのオバケ」が実現していたら、すごいインパクトがあっただろうと思った。

たしかに周囲からは「浮く」かもしれない。しかし、東京はもともとデザインの調和とは無縁な都市だ。古い昭和的なものと未来的なものが無秩序に混在するのが東京である。ザハ案の新国立競技場が実現していたら、そんな東京を象徴する新しいランドマークになったのではないか。

しかし、私たちは結局、無難なほうを選んだ。今建設中の新国立競技場は、洗練された立派な作品にはちがいない。しかし、同時代の多くの人たちの常識やイメージを大きく超えるものではない。「こんなへんなデザインは……」みたいな声は、少なくともザハ案にくらべればずっと少ない。

 

高度成長期の冒険・挑戦

一方、高度成長期の日本では、注目される大プロジェクトで、当時の大衆の常識とはかけ離れた冒険的プランが実現することがあった。

たとえば先の東京オリンピック(1964)の、丹下健三(1913~2005)による代々木体育館。伝統的な日本建築の造形と、先端的な建築技術を融合させた、当時としてはたいへん挑戦的なものだった。今もあの建物を見ると「すごいなー」と感じるが、同時代の人びとにとってはまさに「こんなのみたことない!」というものだっただろう。

あるいは、大阪万博(1970)での岡本太郎(1911~1996)による太陽の塔。あんな前衛的でヘンテコなオブジェが高さ70メートルの巨大さで、国家的イベントの会場にそびえたっていたのである。

岡本太郎はかつて「ベラボー」なものをつくりたいということを言っていた。ものすごい、強烈なインパクト。そこにしっかりとした構想力も伴っているということだろう。太陽の塔や代々木体育館は、まさにそのベラボーだ。ザハ案も、ベラボー系に属する。しかし今度の新国立競技場はちがう。ベラボーを意識的に拒否しているところがある。

今の私たちは、挑戦的な選択肢を選ぶことが少なくなってきている。技術的に難しい課題を、高い精度で実現してはいるが、ベラボーではない、無難なほうを選ぶようになっている。それは要するに創造性や活力の低下ということではないだろうか。そんな状況を、今度の国立競技場はよくあらわしているように思う。ボツになったベラボー系のザハ案というのがあるので、よけいにそれが際立つのだ。

 

高畑勲の「生活を緻密に描くアニメ」

「日本文化の活気の低下」ということは、10月の初めに見た「高畑勲展」(東京国立近代美術館)でも感じた。「ハイジ」「火垂るの墓」などで知られるアニメ監督の回顧展。

高畑勲(1935~2018)は、今の日本のアニメでおなじみの「生活を緻密に描くアニメ」の発明者だった。それは高畑1人で成し遂げたことではないが、彼はその業績の中心にいた。この展示を通して、そのことをあらためて認識した。

「生活を緻密に描くアニメ」の発明は、1970年前後の頃(1960年代末から1970年代前半)のことだった。野心作だったけど大コケした映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)から、『アルプスの少女ハイジ』(1974)にかけての頃である。「ホルス」は高畑の初監督作品。「ハイジ」は初めて(事実上の)監督として手がけたテレビシリーズで、こちらは大ヒットした。

「生活を緻密に描くアニメ」は、「ホルス」が先駆で、「ハイジ」によってかたちになり、みとめられるようになったといっていい。

それまでのアニメでは、リアルさ、緻密さの要素は弱かった。たとえば銃や車が出てくるときは、マンガ的・抽象的に描かれる。しかし、高畑勲やその協力者たちは、具体的な「製品」をアニメに登場させた。

高畑が演出を手がけた、最初のテレビシリーズの「ルパン三世」(1971)では、ルパンが持つ銃はワルサーP38で、愛車はフィアット500である(この点は当時の「ルパン三世」の作画監督・大塚康生の著作『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫による)。北欧的世界を舞台にしたファンタジー作品の「ホルス」でも、当時としては緻密に、舞台となるムラの暮らしが描かれていた。

「ハイジ」では、「ロケハン」といって、スイスのアルプスにスケッチや撮影に行って、綿密に取材したうえで作品の舞台をつくりあげた。そんなことをアニメで行うなど、当時は常識外だった。そしてそれは、当時は認識されていなかったが、世界の最先端でもあったのだ。

 

今のアニメ・時代的な制約

今の日本のアニメで傑作とされるものの多くは、高畑監督たちが築いた「緻密な生活描写」の土俵のうえで行われた仕事だ。たしかに精緻化はすすんだ。ものすごく細かくリアルに、また美しく描かれた東京の街や地方都市や学園の風景などが出てくる。

しかし一方で、今から半世紀前の若いクリエイターたちによる革新を大きく超えているわけでもないように思う。「進歩」「発展」はあるのだけど、フロンティアを開拓しているという感じではない。その開拓は高畑監督たちの時代で終わってしまった。「生活を緻密に描くアニメ」は、もう見飽きるほどおなじみになった。

つまりそれは、この分野(アニメ)でも創造の活力がこの30~40年で落ちたということなのだ。しかし、けっして今の作り手や作品がダメだということではない。その技術やきめ細かいセンスはすばらしいものだ。それでも、新しいアイデアという点で、今の世代は高畑たちにかなわない。それは努力や工夫が足りないのではなく、「開拓の時代が終わった」という時代的な制約によるものだ。

 

基本的なアイデアが出尽くした?

こうした「創造の活力の低下」は、日本だけでなく欧米でもいえると思う。つまり世界的な現象だということだ。たとえば建築、美術、音楽の世界はどうだろう? それぞれの分野に詳しい人なら、思い当たるところがあるはずだ。

つまり、基本的なアイデアはかなり前に出尽くしていて、今の作り手は過去の遺産を精緻化したり、組み合わせたり、崩したり、極端にデフォルメしたりして、自分たちのオリジナリティをどうにかしてうち出そうとしているのではないか。

私も、たとえば自分が興味のある建築やインテリアの分野では「創造の活力の低下」や「新しい基本的なアイデアの枯渇」ということを、かなり具体的にイメージできる。

 

アアルトのシンプル・モダン

4月には「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(東京ステーションギャラリー)、また5月には「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリズムの時代」(国立西洋美術館)といった建築家についての展示をみた。

アアルト(1898~1976、フィンランド)もル・コルビュビジエ(1887~1965、スイス→フランス)も、20世紀前半から半ばにかけて活躍した、近代建築の創造に大きく貢献した巨匠だ。

アアルト展では、彼が1920~30年代にデザインしたイスの、同時代につくられた現物をみることができた。たとえば、「パイミオチェア」(1932)といわれる代表作のひとつがあった。曲線的な合板を大胆に用いた、シンプルでモダンなデザインだ。知識のない人に「このイスはいつ頃デザインされたものか?」と聞いても、90年近く前だと当てるのはむずかしいだろう。

 

ミッドセンチュリーのイス

イスのデザインについては、アアルトやル・コルビュジエが頭角をあらわした頃から、その直後の20世紀半ば(「ミッドセンチュリー」という)にかけての頃に、主なアイデアはほぼ出尽くしてしまった。これは、かなりの専門家にとって異論のないところだと思う。多少の異論があるとしても、少なくともミッドセンチュリーという、イームズ(アメリカ)やヤコブセン(デンマーク)等々の有名なデザイナーが活躍した時代が、イスの歴史にとって「古典」の時代だったことは否定できないはずだ。

今でも、おしゃれな、美しい空間のインテリアに存在するイスのかなりのものは、ミッドセンチュリーの作品だ(あるいはその先駆者や追随者によるもの)。さまざまなショップやセットのインテリアの画像をみるとわかる。「新しさ」を売りにする空間に置かれたイスが、60~70年前のデザインだったりする。

つまり、イスのデザインについての革新や創造は、ミッドセンチュリー以後停滞傾向にある。

もちろん今もさまざまな試みがなされているし、新しいすぐれた作品も生まれてはいる。しかし、この分野でもやはり、大きな革新をともなう「フロンティア開拓の時代」は終わったということだ。

そして、イスはインテリアの中心である。イスが大きくは変化していないのだとすれば、そのほかのインテリアも根本的には変わっていないということだ。さらに、インテリアが変わらないとすれば、建築そのものの変化も限定的なはずだ。

 

ル・コルビュジエの未来都市

国立西洋美術館のル・コルビュジエ展でも、それを実感した。建築における「新しいアイデアの枯渇」ということだ。

この展覧会は、ル・コルビュジエの絵画にとくに光を当てており、建築に関する展示はややかぎられていた。ル・コルビュジエは、若手の駆け出しの頃、画業に積極的に取り組んだ。当時としては前衛的な「ピュリズム」という芸術運動に傾倒していた。

そのなかで、彼の30代の頃の都市計画プラン「ヴォアザン計画」(1925)についての展示が印象的だった。

ヴォアザン計画は、パリの再開発プランである。パリの広大な一画を、数多くの超高層ビルがたち並ぶ未来都市に改造しようというものだ。実現はしなかった。その超高層ビル群は、直線的なデザインや高さが統一され、整然とした幾何学的な秩序で、空間的なゆとりをもって配置されている。

 

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ヴォアザン計画の模型(1925)

今の世界で現実に存在する、都市計画にもとづく超高層ビル群は、みなヴォアザン計画の末裔だ。ただし、ヴォアザン計画のような徹底した統一感や整然とした秩序を備えてはいない。どの街も、ヴォアザン計画にくらべれば、雑然とした要素が多く混じった不徹底な「未来都市」だ。たいていはスケールもより小さく、こじんまりしている(たとえば、西新宿の超高層ビル街や、再開発された丸の内界隈)。

ただし、生活する街としては、コンパクトで雑然とした要素があったほうが快適だったりするのだが、とにかくル・コルビュジエに言わせれば、自分のアイデアの不徹底なコピーということになるだろう。

つまり、ヴォアザン計画のイメージは、のちのさまざまな都市計画の「原型」となった、重要なアイデアだった。

ただしヴォアザン計画だけが重要だったとはいえないし、その直接の影響は限定的だったかもしれない。大事なことは「超高層ビルが整然と立ち並ぶ未来都市」の、完成度の高いイメージが1920年代にはすでに生まれていたということだ。

 

ポストモダン的な「びっくり建築」

そのような基本的なアイデアが100年近く前にあったとしたら、後の世代がこれを大きく乗り越える余地は少なくなってしまう。乗り越えようとすれば、「高層化」や「整然とした秩序」のような近代的な価値観全般を否定するくらいしかないだろう。それは「合理性」の否定といってもいい。「ポストモダン(脱近代)」というものだ。

最近の先端的とされる建築家が得意とする、ときに異様にさえ思える「びっくり建築」の多くは、広い意味でこのポストモダンの流れに属する(前に述べたザハの建築も、そこに含めていい)。

こうしたポストモダンの建築は、ル・コルビュジエのような20世紀の巨匠たち(丹下健三も含まれる)が残した近代建築の基本的なアイデアを、あえて崩したり、極端にデフォルメしたりしているのである。つまり、建物の機能とは関係のない造形や装飾が目立っていたり、わざと不便な構造になっていたり、予算を使ってあえて粗雑な感じにしたり、ムダに巨大だったりする。創造性や活気が落ちてきた時代特有の手法で、オリジナリティを出そうとしているのだ。

しかし、そのような建築家たちは、今の世界ではかなり冒険的で元気なクリエイターだともいえる。そんな人たちでさえ、ほんとうに新しいフロンティアを開拓できずにもがいている――そんなふうに、私には思える。


そして、私に言わせれば真に創造的とはいえないポストモダンの冒険さえも、日本の主流派は拒否している。ザハ案がボツになって、より無難な案が採用されたのは、それを象徴している。日本の文化は、現代の先進国のなかでも、とくに保守的になっている可能性がある。

以上、子どものころから慣れ親しんだアニメや、趣味の建築について述べた。それ以外の文化については、ここでは立ち入らない。しかし、建築のような古くから権威のある分野でも、「サブカル」的なアニメの世界でも、基本的なレベルで「新しいアイデアの枯渇」ということがあるようだ。だとすれば、いろんな分野で同様のことがいえるのではないか。

 

トム・サックス展 「アイデアを楽しむ」現代芸術

5月には現代芸術家のトム・サックス(1966~)による「トム・サックス ティーセレモニー」(東京オペラシティアートギャラリー)を見た。とても楽しい、アイデアにあふれた展示だった。野村訓市(1973~)さんのラジオ番組(「TRAVELLING WITHOUT MOVING」J-Wave)で、この展覧会のことを知った。

とくに映像作品の「ティーセレモニー」は、茶道の本質をまじめにふまえた、しかし抱腹絶倒の出来だった。このほかジャンクな造りの茶室や、紙粘土らしき茶道の茶碗(なぜかNASAと書かれている)、さまざまなガラクタでつくられた兜……どれも面白い。「アイデアを受け取って楽しむ」のが現代芸術だというのが、まさに伝わってくる。

こういう、ジャンクな仕上がりで、意表を突くアイデアを楽しむ芸術というのは、20世紀前半から中頃にかけて開拓されたフロンティアなのだろう。その頃、ただの小便器に「泉」というタイトルをつけたもの(マルセル・デュシャン、1917)とか、スーパーで売っているスープ缶を平べったく描いた版画(アンディ・ウォーホル、1962)といった類の作品が芸術として認知されるようになった。

つまり今の現代芸術も、イスのデザインのように「ミッドセンチュリー」の頃までに築かれた枠組みのなかにある。岡本太郎の「太陽の塔」(1970)も、1960年代末にデザインされた「ミッドセンチュリー」の現代芸術のひとつといえる。

 

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日曜午後のラジオ

音楽のことは、私は疎くてよくわからない。ただ、この記事を書いている10月13日の日曜日の午後、ラジオで「山下達郎のサンデ―・ソングブック」(TOKYO FM)を聴いた。1992年からずっと続いている番組。そのなかで山下達郎(1953~)さんが若い頃(1970年代半ば)に参加していたバンドの曲がかかった。40年以上前とは思えないくらい、モダンで洗練されている感じがする。

1970年代の頃、山下さんや周囲の仲間、またそのライバルたちは、当時の高畑勲のように自分たちのフロンティアを開拓しようと打ち込んでいたのだろう。

そして、これからの時代には、文化のさまざまな分野で、このような「フロンティア」の開拓に私たちが立ち会うことは、めったにないのではないか。それは、近代の文明・文化が大きな曲がり角に立っているということだ。

つまり、変化の激しい、つぎつぎと新しいものが生まれる創造的な局面がひと段落して、それよりは変化の乏しい、革新的なものが生まれにくい局面への移行が、世界的なスケールで起こっているのではないか。これは非常に大きな話なので、もうここでは論じきれない。また別の機会に。 

 

 

文明が成熟し、創造性や活気が低下した社会の先例として、中世のビザンチン帝国がある。つぎの記事はビザンチン帝国の基礎知識とともに、現代世界とビザンチンの共通性について述べる。 

  

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