はじめに・テーマ選びは重要
今回のテーマは、勉強や独学の良いテーマをどうみつけるか、ということだ。そのためのコツについて述べる。
前回は、大人の勉強で大事なのは「作品化」だと述べた。勉強の成果をまとまった文章などのかたちにすることだ。作品化を意識すると、「何をすべきか」の問題意識が明確で深いものになって、勉強は充実してくる。
そこで重要なのが、どのようなテーマで作品化するかだ。
テーマ選びが良くないと、独学者はひとつの作品をつくりあげるまでにいかない。意欲やスキルが不足して、完成までたどりつけない。
テーマは、自分の欲求や関心に沿うもので、一定の具体性があり、きちんと完成できるものがいい。しかし、それをどうやってみつけたらいいのだろうか?
目 次
- はじめに・テーマ選びは重要
- 「未完のプロジェクト」はないか
- アンパンマンができるまで
- イームズのデザインにおける「再検討」
- 私の「作品化」・構造は巨匠と同じ
- 子どもの頃の夢より、近い過去のプロジェクト
- 取り組みをアップデートする
- 自分の変化にも注意を向ける
- 過去のプロジェクトの新たな可能性
「未完のプロジェクト」はないか
良いテーマをみつけるうえでおすすめしたい、大事なコツがある。それは、「自分の過去のプロジェクトを点検する」ことだ。
あなたには、以前に取り組んで、未完成のまま終わっている何かはないだろうか。こういう「未完のプロジェクト」は、いろんなパターンが考えられる。
文字どおり未完成で終わっているものだけではない。一応完成できたけど、机にしまったままのもの。世に出したけど、不発で終わったもの。出来栄えが不満なもの。一定の成果は出たが課題が残っているもの。以前には気がつかなかった、新たな可能性がみえてきたもの…
ここでいう「プロジェクト」とは、心のなかの願望にとどめるのではなく、何かアクションを起こしたものだ。つまり、具体的にそれを作り始めたことがある、というのが望ましい。
あなたに、そういう「未完のプロジェクト」はないか、振り返ってみよう。
そして、それらの中身を再検討して、これというものがあればやり直すことを考えるのだ。やり直すなら、社会や自分の現状にあわせて、アップデートしたかたちでそれを行うのである。
過去に取り組んで、また取り組もうとしているなら、あなたはそのことに強い関心がある。そして、一度はやろうとしたのだから、決して不可能なことではない。やってみるといいと思う。
アンパンマンができるまで
創造的な人の多くは、「過去のプロジェクトを再検討してあらためて取り組む」ことを行ってきた。
たとえば、やなせたかしさん(1919~2013)の「アンパンマン」は、そんな「過去のプロジェクトの再検討」から生まれた作品だ。
アンパンマンが誰にも知られるようになったのは、1988年にテレビアニメ化されて以降のことだが、アンパンマンの原型は、1969年にすでに生まれていた。それは文も絵もやなせさん作の、青年向け雑誌の読みものに登場する。
しかし、そのアンパンマンは私たちが知っているのとはちがう。普通の男がアンパンマン的な恰好をしているのである。男は飢えた人たちにパンを配っていた。そういう社会派的な作品だった。
その後1973年に「顔が食べられるアンパンマン」が登場する、幼児向けの絵本が出版される。空も飛べるようになっていた。
ただし、このときのアンパンマンは、かなりすらっとしたプロポーションだ。あと、マントはつぎはぎだらけ。「困った人を助けるヒーローは貧しいものだ」という考えからである。
今のようなアンパンマンのキャラが定まるのは、1975年に『それいけ!アンパンマン』の最初の絵本が出て、以後シリーズ化されてからだ。
ただし、このシリーズでも当初は「貧困な人を救う」というテーマが打ち出されていて、幼児にはむずかしいところがあった。それでも、しだいに幼児向けとしての完成度を高めていった。
つまり、アンパンマンというキャラは、やなせさんが何度も「過去の仕事の再検討」を行ってつくりなおすことで、できあがったのである。
もちろん、アンパンマンほどの人気キャラは、食い下がってがんばればできるというものではない。やなせさんは、著書でこう述べている。
“ローマは1日にしてならず。いくらあせっても、やすやすと人気キャラクターは生まれない。努力でできるというものでもない。ひとつの天運、千載一遇のチャンス、時の流れ、奇跡の星、それらが重なってキャラクターは誕生する”
(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫、2013、120㌻)
たしかにそうなのだろう。だが、もしも1969年や1973年のバージョンであきらめていたら、アンパンマンに天運はめぐってこなかった。
マンガや絵本などで、マイナーだった作品をリメイクして、ヒットさせた例はほかにもある。たとえば水木しげるの「鬼太郎」はそうだ。しかし、アンパンマンはその手の事例の、最大のものにちがいない。
イームズのデザインにおける「再検討」
「過去のプロジェクトの再点検」というコンセプトを、私は直接にはチャールズ・イームズの言葉から学んだ。
チャールズ・イームズ(1907~1978)は、1900年代半ばに活躍したデザイナー・建築家で、とくにイスのデザインで知られている。映像作品でも傑作を残した(妻レイと共同で仕事を行ったので、作品の名義は「チャールズ&レイ・イームズ」である)。
イームズは“過去の仕事にあらためて取り組み、再検討する大切さ”ということを何度も語ったという。そして、“自分の興味を探究できることは人生における究極の贅沢”だと考えていた。過去を再検討するのは、自分の興味を深堀りすることだ。
(イームズ・デミトリオス『イームズ入門』日本文教出版、2004 129㌻)
イスのデザインにおいて、イームズは「過去の仕事の再検討」によって、名作を生み出した。
1950年代につくられた「プラスチックチェア(シェルチェア)」というイームズの代表作がある。ガラス繊維で強化したプラスチックを、おもな材料にしたイスだ。
このイスは背もたれと座面が一体化した曲線的なフォルムが特徴だが、そのようなコンセプトに基づく木製のイスを、イームズは1930年代末の若い頃にすでに試作している。これは「オーガニックチェア」という、建築家のエーロ・サーリネンと共同制作したものだ。
ただしオーガニックチェアは、技術的にもデザイン的にも発展途上のものだった。それが洗練されて完成の域に達したのが、プラスチックチェアだったのだ。
オーガニックチェアの曲線的なデザインは、当時の木工技術では製造が困難でコストがかかった。そこでこのイスは、あまり生産されずに終わった。
その後、プラスチックという曲線的なデザインを実現するのに適した素材が発達し、オーガニックチェアという不発に終わった過去のプロジェクトを、イームズはこの新素材でやり直したのである。
ただし、長いブランクのあとにやり直したというのではない。イームズはオーガニックチェアのあと、曲線的に加工されたベニヤ板を使ったイスをつくったり、プラスチックでオブジェを試作したりしている。プラスチックチェアはそうした取り組みの集大成でもあった。
「過去の仕事の再検討」は、別の言い方をすると「焼き直し」だ。
「焼き直し」は、一般には評判が悪い。それよりも、新しいこと、未知のことにどんどん挑戦していくのが創造的でカッコいいとされる。
しかし、じつは「焼き直し=過去の仕事の再検討」は、創造の大切な手段なのだ。それは、発展途上のアイデアを完成させることなのである。
私の「作品化」・構造は巨匠と同じ
私自身の「作品化」でも、うまくいったのは「過去の仕事の再検討」をして何度かやり直したものばかりである。私が出版にこぎつけた世界史の概説は、まさにそうだった。
巨匠たちの仕事のあとに、自分のことを並べるのは気がひけるが、人がうまくいくときの構造は、巨匠も凡人も基本は同じだと思う。エネルギーのすごさとか、スキルや知識のレベルとか、掘り当てた鉱脈の巨大さとか、程度のちがいがあるだけで、本質は同じなのだ。
私が最初に書いた、「原型」といえる世界史についての原稿は、何人かの友人にみてもらったが、評価は良くなかった。
ただし、その「原型」のなかの、あるアイデア・視点はわりと評判が良かった。そこでその「視点」を前面に押し出して、1万文字ほどで書き直した。しかし当時はまだブログも行っておらず、原稿の完成度も低いと思ったので、机のなかにしまい込んだ。
その後、私はブログ(このブログとは別)を始め、1万文字の原稿を2万文字くらいに増補して、そこにアップした。さらに、ブログ記事をもとに本1冊くらいの原稿を書いた。それが本として出版された。最初の「原型」から出版まで7~8年かかっている。
私にとってこの世界史の「作品」は、何年ものあいだ、検討をくり返した「未完のプロジェクト」だった。
私が商業出版できたほかの作品(「偉人伝」と「勉強法」についての電子書籍)も、やはり過去に書いた「原型」を、何度か焼き直して完成させたものだ。
私にはこの20年数年、「作品化のテーマがみつからない」ということがない。手もとには常に「以前に取り組んで未完成のまま」というプロジェクトがいくつもある。
それは書きかけの原稿だったり、一応は出来上がったが不満足な試作品だったり、さらに展開できそうな自分のブログ記事だったりする。
あるいは、出版できた作品でも、これをさらに発展させたり、ちがう切り口で展開したりできないか、と思うこともある。
子どもの頃の夢より、近い過去のプロジェクト
「未完のプロジェクト」は、あなたにもあるはずだ。独学術に関心を持つような人であれば、きっとあるだろう。ここで述べた「過去の仕事の再検討」という視点を持てば、これまで気がつかなかった何かがみつかるはずだ。
そして、過去の未完のプロジェクトのなかから、今一番やってみたいと思うことにあらためて取り組めばいい。
ただ、「完成できる可能性」という点では、なるべく高い完成度で放置されていたものから取り組むのがいい。
あとは、遠い過去ではなく最近のものから目を向けることも大切だ。最近のテーマほど自分の現状に適合しているので、うまく進められる可能性は高い。
これは当たり前のことかもしれない。しかし、大人が「したいこと」を探すとき、「子供の頃に好きだったことを思い出そう」などとアドバイスすることが多い。でも、それはちがうと言いたい。
大事なのは「子どもの頃の夢」ではなく、「なるべく近い過去のプロジェクト」だ。
取り組みをアップデートする
そして、「過去のプロジェクトにあらためて取り組む」といっても、過去と同じことをくり返しては、うまくいかないだろう。社会や自分の現状にあわせて取り組みをアップデートすることが必要だ。
このことに関して、思い出すことがある。
だいぶ前にみたテレビ番組で、大々的にマンガ家を発掘するオーディションをやっていた。小学生から中高年まで大勢が応募していた。そのなかにひとりの中年男性がいて、若い頃にプロ(かセミプロ)だったらしい。上手な絵を描いて自信もある様子だった。しかし審査員からは「でも絵柄が古いからなあ」と、今ひとつの評価だった。私も同じように思った。
つまり、この男性はマンガへの再挑戦にあたって、高いスキルはあったが、時代に合わせた自分のアップデートができていなかったのだ。
男性は、オーディションの前に「最近のマンガはどういう絵柄なのか」を研究して、新しい要素を自分のなかに取り込んでおくべきだった。
それは、自分の絵を捨てることではない。絵を微妙に変えるだけで効果的かもしれないのだ。スキルはもともと高いのだから、意識して取り組めば、できたはずだ。
何の分野にしても、過去のプロジェクトにあらためて取り組むなら、「今の〇〇はどうなっているのか?」ということには注意を向ける必要がある。
学術研究的なテーマなら、当然ながら最近の研究動向を確認しないといけない。そして、自分のテーマや切り口が、今の時代のなかでどう位置づけられるのか、ということもあらためて考えよう。場合によっては、同じ対象を扱うにしても、切り口を変えたほうがいいかもしれない。
また、マンガの絵柄のようなことは、文章にもあてはまる。久しぶりに文章を書くなら、今どきの書き手の作品を注意深く読んで研究してみよう。
自分の変化にも注意を向ける
「現状にあわせたアップデート」というのは、社会や市場の変化にあわせるだけではない。以前とは変化した自分の今の状況にあわせる、ということでもある。
とくに注意を向けたほうがいいのは、「自分が以前よりもレベルアップした部分」である。「過去に取り組んだときよりも、向上した知識やスキルがあるのでは?」と自分に問いかけてみよう。
そして「今の自分なら、こうすればこのプロジェクトを完成できる」といったことがみえてきたら、しめたものだ。
ほかには、社会における技術やサービスの進歩にも目を向けよう。たとえば、紙にペンで絵を描いていた人が、絵に再挑戦するときにペンタブレットで描くといったことだ。
実際にペンタブレットの導入で、キャリアが大きく変わった人もいる。『王様ランキング』をヒットさせたマンガ家の十日草輔さんは、そうだった。
十日さんは、若い頃にマンガ家をめざしたが挫折し、40歳を過ぎて会社を辞めマンガ家に再挑戦した。そして、十日さんが本格的に絵を描くのを再開したきっかけは、ペンタブレットの導入だった。
もともとはペンタブレットを嫌っていた十日さんだったが、最近の進化した製品に触れて、使うようになった。修正の容易さなど、メリットはやはり大きかった。そして、マンガ投稿サイトでの作品発表を続けて、デビューのきっかけをつかんだ。会社の仕事で身につけた、マーケティングのセンスやITスキルも作品づくりに役立った。
(十日草輔『脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで』イースト・プレス、2020年)
十日さんは、「マンガ家になる」というプロジェクトに再挑戦するのに、今どきのIT技術や新しく得たスキルをうまく使って成功したのである。とくに中高年には参考になる話だと思う。
そしてこの構図は、イームズが若い頃に取り組んだ革新的なイスの構想を、だいぶ後になって実現したのと同じである。イームズの場合はプラスチックという新素材と、最初の取り組み以降に得た経験を用いて、ずっとつくりたかったものを完成させたのだ。
過去のプロジェクトの新たな可能性
それから、「これはもうだめだろう」と思っていた過去のプロジェクトの新たな可能性が、急にみえてくることもある。「今あらためて見直すと、結構いけるんじゃないか」ということだ。
それが社会の変化によるのか、自分の成長によるのかはともかく、そういう「新たな可能性の発見」ということはあり得る。そのときは、ぜひまたやってみるといい。
ここでまた、やなせたかしさんの話をしよう。やなせさんは、1973年に初めて出版したアンパンマンの絵本については「きっと幼児にはわからないし、誰も評価しないだろう」と思っていた。実際、編集者は「もうこういう作品はやめましょう」と言い、批評家には無視された。
しかしその後、やなせさんは「幼児たちがアンパンマンを非常に気に入っている」という話を、あちこちで聞くようになった。「うちの子がアンパンマンの本を毎晩読んでとせがんでくる」「うちの幼稚園の図書室ではアンパンマンの本がすぐボロボロになる」といったことだ。
やなせさんによれば、幼児たちは“純真無垢の魂を持った冷酷無比の批評家”なのだそうだ。その評価を得たことで、“ぼくはかすかな戦慄が背中に走るのを感じた。これはえらいことになった”と思ったという。
(『アンパンマンの遺言』206~207㌻)
このときやなせさんは、「不発に終わった」はずのプロジェクトに、新たな・大きな可能性を見出したのだ。
そして、またアンパンマンを描くことを決めた。それで、今に続くアンパンマンのシリーズが生まれた。
***
以上、「過去のプロジェクトの再検討」という方法は、大人の独学者が良いテーマをみつけるうえでおおいに役立つので、ぜひやってみてください。
とくに、成功者でもスーパーマンでもない中高年(私がまさにそう)が創造的に楽しく生きるには、いいやり方だと思っている。たいていの中高年には「未完のプロジェクト」が、いくらでもある。
しかし、若い人には関係ないかというと、そうではない。
たしかに年を重ねたほうが、過去のプロジェクトの在庫は多いはずだ。しかしそれは程度の問題だ。たとえ20歳の人でも、それまでの活動で「十分やりきっていない」と思うことは、きっとあると思う。それを点検してみてはどうだろうか。
もちろん若いうちは新しいことへの挑戦は重要だが、ときには過去を点検するのも、悪いことではない。
(つづく)
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