そういち総研

世界史をベースに社会の知識をお届け。

古代(ギリシア・ローマなど)

世界史人物小伝・アリストテレス 世界の全体像を描こうしとした「万学の祖」

アリストテレスについての入門的な解説は、素材が素材だけにやはり読みにくいものが多いです。この記事は「読みやすく、しかしそれなりの情報を盛り込んで、アリストテレスという巨人の概要をシンプルに伝える」ことを、めざしています。アリストテレス(前3…

古代ギリシア文明入門2・物質的な成果・古代ギリシア人はすぐれた経済人で技術者

はじめに アテネなどのポリス(都市国家)が繁栄した時代の古代ギリシアが生んだ、さまざまな文化的・物質的成果をみわたすシリーズの2回目。ただし第1回を読まずに、この記事からでも大丈夫。第1回は、古代ギリシアの文化的な成果について述べたが、この記…

古代ギリシア文明入門 そのレベルの高さを知ろう 1・文化的な成果

はじめに この記事では、アテネなどのポリス(都市国家)が繁栄した時代の古代ギリシアが生んだ、さまざまな文化的・物質的成果をみわたしていく。ただし、民主政(民主主義)については、それを主題にした関連記事があるので、そちらをみていただきたい。こ…

古代ギリシア・アテネ(アテナイ)の民主主義・入門 教科書ではわからない、その価値

この記事では、世界史の「定番」的な項目のひとつ、アテネの民主主義(民主政)について述べています。教科書や学校の授業では今ひとつわかりにくい、その特別な意味や価値をお伝えします。(前提の知識、ご存知ならスキップ)古代ギリシアは、文化的には共通…

「コロナ以後」を考えるための感染症の歴史的事例・「中世のペスト」より「ビザンツのペスト」が参考に

「感染症の大流行がその後の社会に与えた影響」を考えるうえで、よく引き合いに出される「中世ヨーロッパのペスト」の事例。これは、じつはあまり参考にならない。発展途上の新興地域だった当時のヨーロッパと、成熟社会の現代の先進国とでは、条件がちがい…

ゲルマン人の「民族大移動」と西ローマ帝国崩壊の経緯。また、なぜ西ローマは滅び東ローマは残ったか

西暦400年代後半の、ゲルマン人の侵入や内乱による西ローマ帝国の崩壊。これは、「巨大な世界史的変動がどのように起きるか」についての重要なケース・スタディである。世界の「中心」として繁栄してきた超大国が、周辺民族の圧力などによってそれまでの体制…

ビザンツ帝国=東ローマ帝国とはどういう国だったか・そして現代世界とビザンツの共通性

かつて、ビザンツ(ビザンチン)帝国=東ローマ帝国という国があった。西暦400年代以降、ローマ帝国の東半分の地域(バルカン半島、アナトリアなど)で栄えた、古代ローマ帝国の末裔である。この国は長く続いた。その滅亡は1453年。この年、当時のイスラムの…

ヘレニズム時代とは何か 「古代ギリシアの普遍化」がなされた時代

ヘレニズム時代とは、おもに地中海沿岸とその周辺地域における時代区分で、アレクサンドロス大王の東征(アケメネス朝ペルシアなどへの進軍)が始まった紀元前300年代前半から紀元前1世紀後半までを指す。その時期は、一般には「古代ギリシア」と「ローマ帝…

ローマ皇帝はアメリカ大統領のようなもの 最盛期のローマ帝国の政治体制

ローマは紀元前1世紀末に地中海を囲む巨大な帝国となり、その後西暦200年頃までが最盛期だった。なぜローマは強大化したのか?その基礎には国家全体で団結し力を結集し得る政治体制があった。その体制はエリートが支配する貴族政的な面と民主政的な面が混在…

古代ギリシアの文明は、西アジア(古代オリエント)の影響を受けて成立した

古代ギリシアのポリスは、紀元前500年頃から本格的な繁栄がはじまり、科学・哲学、すぐれた芸術・文芸、民主主義などの遺産を残した。ギリシアの文化はきわめて画期的だったので、ギリシア人が独創的にそれらを生み出したと一般には考えられがちだ。しかし、…