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「帝国」「連邦」とは何か 国の名称や体制についての基礎知識・その2

「共和国」「帝国」「連邦」のような、国の体制に関する名称について、基本的な意味を確認しておこう。歴史や社会を知るうえでの基礎概念である。前回は「共和国」だったが、この記事では「帝国」「連邦」について。こういう概念を整理すると、世界史や世界情勢について学ぶときのモヤモヤがいくらかは解消される。

 

この記事で述べる定義・説明(一部)

【帝国】複数の(あるいは多数の)民族を支配する国家
【皇帝】帝国を支配する君主
【連邦国家】憲法によって中央からの一定の独立性が定められている複数の地方政府と、それらを束ねる中央政府によって構成される国家

 

前回の記事 

 
目 次

  

帝国の誕生

世界史では「ローマ帝国」「モンゴル帝国」のようなさまざまな帝国が出てくるが、そもそも「帝国」とは何だろうか? 

「帝国」とは、複数の民族を支配する国家のことである。これに対し「王国」とは、世襲の君主がひとつの民族の全体または大部分を支配する国家である。

では「民族」とは何か。さまざまな議論があるが、一応は「言語をはじめとする文化を共有する集団」といえるだろう。

文明の始まりの時代には、「帝国」というものはなかった。最も古くから文明が栄えた、今のイラクなどにあたるメソポタミアでは、都市を中心とする小規模な国家(都市国家)が並び立つ時代が、紀元前3500年頃から長く続いた。しかし紀元前2300年代になると、「アッカド王朝」という、メソポタミアの都市国家を統一して支配する国が生まれた。

 

メソポタミアとその周辺(そういちの著書『一気にわかる世界史』より)*濃い緑の部分がメソポタミアにほぼ該当

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アッカド王朝では、アッカド人という、やや遅れてメソポタミアにやってきた民族が、メソポタミアで最初に都市文明を築いたシュメール人を支配していた。そこでこの国は「複数の民族を支配する」という意味での帝国に該当する。世界史上初の帝国である。

そして、アッカド王朝は、都市国家よりもはるかに広い領域を支配する「領域国家」の先駆けだった。

アッカド王朝はやがて滅びたが、その後のメソポタミアや周辺の西アジア各地では、さまざまな民族による領域国家が興亡するようになった。そのなかには異民族をも支配する「帝国」といえるものもあった。

そして、紀元前700~600年代には、アッシリアという国が強大化して、西アジアのさまざまな領域国家を征服して支配するようになった。

最盛期のアッシリアはこれまでのどの国よりもはるかに巨大で、少なくとも十指に余るさまざまな民族を支配した。そこで、この頃のアッシリアこそが「史上初の帝国」だとする見方も有力だ。本格的な都市文明の成立から、このような帝国の形成まで2000数百年がかかった。

 

「大帝国」こそが真の帝国

たしかに、「帝国」のあり方としては、1つ2つの異民族を支配するのではなく、アッシリアのように数多くの異民族を支配することを想定するのが一般的である。こういう大規模な帝国のことを、ここでは「大帝国」と呼ぼう。アッシリアは「史上初の大帝国」といえる。

そして、「帝国」とは、このような「大帝国」のことだと定義しなおしたほうが良いのではないか。これは、通説的なものではなく、私なりの考えである。

たとえば明治憲法下の日本は「大日本帝国」と称していた。たしかに台湾人や朝鮮人をも支配していたので、一応は「帝国」とはいえるのだが、このように2、3の異民族を支配するだけで「帝国」というのは、やや誇大な自称ではないだろうか?

そこで、真の意味での帝国とは、ここでいう「大帝国」のことだと考えたほうがすっきりする。

「大帝国」の基準はというと、あまり明確ではないが、少なくとも10程度のさまざまな民族を支配していれば、該当するといえるのではないか。

 

アケメネス朝ペルシア

以下、世界史における大帝国、つまり真の意味での帝国の歴史をざっとみておこう。

アッシリアの帝国は長く続かなかった。その後の西アジアでは、再び多くの領域国家が並立するようになった。しかし紀元前500年頃には、アケメネス朝(アケメネス朝ペルシア)という国が強大化して、西アジアのほぼ全域を征服し、アッシリアを上回る規模の大帝国を築いた。この帝国は200数十年にわたって続き、後世に大きな影響を与えた。

 

アケメネス朝ペルシア(『一気にわかる世界史』より)

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紀元前1世紀から大帝国として繁栄したローマ帝国は、国家の体制に関してアケメネス朝の影響をつよく受けている。

たとえば、ローマ人による支配は、征服した各地の国・民族を「属州」として支配化におき、日常の行政は地元民の支配者に任せ、それを中央から派遣された地方長官(総督)と軍隊が監督するというものだった。このような「間接支配」のやり方は、もともとはアケメネス朝が行ったものだった。

また、行政上の連絡や軍隊の移動をスムースに行うため、国内に道路網を建設することについても、ローマはアケメネス朝の影響を受けている。

そして、歴史上の大帝国というのは、基本的にはアケメネス朝やローマ帝国のような「間接支配」的なやり方で、国をまとめていた。現代のような、中央政府が巨大な国家を隅々まで管理できるような行政の組織や、交通・通信の手段がなかったからだ。

世界史上のさまざまな大帝国

アケメネス朝以降、世界史上にはいくつもの大帝国があらわれた。世界史上の代表的な大帝国をあげてみよう。

西アジアのアッシリア、アケメネス朝ペルシア。アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロスの帝国(紀元前300年代)。

アレクサンドロスの帝国が滅びた跡地であるヘレニズム世界を征服して成立したローマ帝国(紀元前1世紀~)。ローマ帝国の後継国家である東ローマ帝国=ビザンツ帝国(400年代~)。 

西暦100年代のローマ帝国(『一気にわかる世界史』より)*「東西の境」は、300年代末に東西の帝国に完全に分裂した際の境。400年代後半に西ローマ帝国は崩壊

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ビザンツの東方に起こり、ビザンツの領域の多くを奪うなどして巨大化した、イスラムの帝国(600年代~)。

800年頃のイスラムの帝国(『一気にわかる世界史』より)*複数の王朝の領域を合わせて表示している

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以上は、西アジアや地中海世界の、古代・中世の大帝国である。インドや中国ではどうだったか。

インドや中国では、西アジアにくらべてアッシリアやアケメネス朝のような大帝国の形成は遅かった(文明の始まり自体が西アジアよりも遅い)。

インドでは、紀元前200年代半ばにマウリア朝という国家がインドのほぼ全域をはじめて統一する大帝国を築いた。中国では、紀元前200年代後半に始皇帝の秦が中国の主要部をはじめて統一した。これらのインドや中国の統一王朝は、アケメネス朝やローマ帝国ほど多様な民族は含まないが、いくつもの民族を束ねる、まさに大帝国だった。

その後、インドではインド全体を統一する王朝は、マウリア朝以降は1500年代のムガール帝国まで成立しなかった。中国では、分裂の時代もあったが、秦が滅亡して以降も、漢、隋、唐、宋、元、明、清といった歴代の統一王朝が成立していった。

そして、アジア北部の草原地帯を根拠地とする騎馬遊牧民も、特定の集団が国家として強大化し、ほかの系統の騎馬遊牧民や農耕民といった異民族を支配する帝国を築くことがあった。

このような騎馬遊牧民による、最大の帝国が1200~1300年代のモンゴル帝国である。中国の元は、最盛期におけるモンゴル帝国の中核をなす一部分だった。清(1600年代~)も、広い意味での騎馬遊牧民が中国を征服・支配した王朝だった。

モンゴル帝国(『一気にわかる世界史』より)

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中世ヨーロッパの帝国

ヨーロッパ(ここでは西欧を指す)で、現在につながる国ぐにが形成されたのは、ローマ帝国の西半分が崩壊した西暦400年代以降のことだ。西暦1000年頃までに今のドイツ、フランス、イギリスといった主要国の基礎ができている。

これらの西欧の国ぐには、これまで述べた世界史上のおもな帝国にくらべて小粒で、多少の異民族を含むことはあっても、本格的な帝国とはいえないものだった。

800年頃のフランク王国のように、西欧の広い範囲(フランスとドイツ・イタリアの一部)を支配する「帝国」といえるものができたときもあったが、長続きしなかった。このときのフランク王・カールは、当時のローマ教皇から「ローマ皇帝」の位、つまり「帝位」を授けられている。あとでまた説明するが、帝国を支配する君主が「皇帝」である。

西欧では皇帝とは、西欧のカトリック世界を統合し、異教徒から防衛する役割を担う、一般的な国王よりも上級の権威・権力のことである。その地位は、有力な国王がローマ教皇にその力を認めさせて得るものだった。

これは、日本人にとっては「有力な武家が、征夷大将軍の位を天皇から授かる」のと似た構図だとみれば、のみこみやすい。

その後もヨーロッパの統一をめざす動きはあった。そのような統一は「ローマ帝国の復活」を意味していた。しかし、本格的な大帝国がヨーロッパで形成されることはなかった。

中世ヨーロッパには、ドイツを中心とする「神聖ローマ帝国」という国もあった(962~1806)。この「帝国」は900年代に、当時有力だった東フランク(ドイツ)王・オットー1世に帝位が授けられたことで成立したとされる。そして、以後オットーの後継者たちも帝位を得るようになり、イタリアやフランスの南東部にも勢力を拡大した。

神聖ローマ帝国、ビザンツ帝国=東ローマ帝国など(西暦1000年代末、『一気にわかる世界史』より)

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しかし、この「帝国」は国としてのまとまりが弱く、日本でいえば各地を支配する大名のような諸侯がそれぞれ勝手にふるまう面が強かった。そして、フランスやイギリスなどの西欧のほかの国ぐにが台頭すると、「西欧全体を統合し、ローマ帝国を復活する」などという構想は、ありえない幻想になってしまった。神聖ローマ帝国は「名称は立派だが、それだけの内実をまったく伴わない、哀れな帝国」などとも評価される。

 

近代ヨーロッパの植民地帝国

しかし、西欧では別のかたちで「帝国」が成立していった。近代(1500年代~)になると、ヨーロッパの強国が新大陸やアジア・アフリカの各地を征服して支配化におく動きが起こった。

それは産業革命以後の1800年代にはさらに顕著になり、ヨーロッパのおもな国ぐには、それぞれが植民地支配による自分たちの「帝国」を築くようになった。このような、植民地拡大を志向する傾向を「帝国主義」という。

こうしたヨーロッパの帝国主義の代表が、1500年代のスペイン帝国と、1700~1800年代の大英帝国である。これらのヨーロッパ人による帝国は、かつてないグローバル規模の大帝国だった。

1914年のヨーロッパの植民地(『一気にわかる世界史』より)

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そして、近代ヨーロッパの帝国は、古代・中世の大帝国の末裔といえる、イスラムのオスマン朝(オスマン・トルコ帝国)、中国の清王朝、インドのムガール帝国を圧迫し、屈服させたのだった。とくに、ムガール帝国はイギリスに征服されて完全に植民地化されてしまった。

このように、大帝国の歴史は、世界史の本流といえるだろう。

 

皇帝とは何か

以上のような大帝国を支配する君主のことを、一般に「皇帝」という。

皇帝という呼称は、秦の始皇帝が天下統一を成し遂げたあとに、新たに創って採用したものだ。

「皇」という文字には君主や支配者の意味があった。「帝」という文字は、それよりもやや複雑で、古くは祭司の対象の祖先神を意味していた。そのような神の最高位にあるのが「天帝」という存在だ。その後、「帝」の神格的な意義はやや薄れ、戦国時代(始皇帝による統一の前段階)の有力な王たちは、帝の称号を「特別な、唯一最高の君主」が用いるものと考えるようになった。(A.コットレル『秦始皇帝』184~189ページ)

始皇帝が自分の称号に「帝」を採用したのは、「神聖で唯一の存在」というニュアンスを込めたかったのだろう。そして、皇帝という新しい称号を用いることで、自分がこれまでに滅ぼした国王たちとは別格であると主張したのである。

皇帝は、本来は中国の統一王朝の支配者を指す言葉だが、それを漢字圏では中国以外の大帝国の支配者についても、訳語として用いるようになった。

ヨーロッパの言語で皇帝にあたるのは、エンペラーやカイザーである。

これは、ローマ帝国の皇帝=ローマ皇帝が「インペラトル」「カエサル」という称号を用いたことに由来する(これはラテン語)。ローマ皇帝は、人びとからインペラトルあるいはカエサルと呼ばれた。

インペラトルとは、もともとは大きな軍功をあげた凱旋将軍を意味したが、皇帝の称号としては「ローマ全軍の司令官」という意味である。これは英語のエンペラーの語源だ。

カエサルは、事実上の初代ローマ皇帝といえる権力者ユリウス・カエサルの後継者であることを意味する。これは、カイザーの語源となった。カイザー(カイゼル)はドイツ語で、ロシア語ではツァーリという。

ローマ皇帝は形式的な手続きとしては、元老院という帝国の有力者たちの集団から認められて即位することになっていた。そのように「国の特定の集団に承認されて即位する」という前提は、中国の皇帝にはない。中国史には元老院のような機関が存在したことがない。

具体的にみれば中国の皇帝とローマ皇帝では、このように成り立ちが大きくちがう。そこで、両者をまとめて「皇帝」というのはどうなのか、という意見もある。

しかし、どちらも多くの民族を含む大帝国の支配者という点では共通している。そして、どちらも古代・中世の人びとにとっては、一般にイメージできる限りの「ほぼ全世界」の支配者ということでもあった。

具体的な歴史や文化的背景はひとまず置いて、共通した部分に注目すれば、どちらも「皇帝」ということで良いのではないだろうか。

なお、ローマ帝国以前の帝国の支配者――アッシリアやアケメネス朝などの君主のことは、一般には皇帝とはいわず、「大王」などと呼ぶことが多い。これは「エンペラー」「カイザー」は、ローマ皇帝の称号に由来するという欧米的な見方によるものだ。だから「アレクサンダー大王」などという。しかし、ローマ帝国以前の大帝国の支配者も、実質的には「皇帝」の一種である。

世界史上にはそれぞれの文化的・歴史的背景を持つ、さまざまな「皇帝」的な権力者が存在してきた。前に述べた、古代ローマの「インペラトル」「カエサル」や、中世西欧における、カトリック世界を異教徒から守る存在としての「ローマ皇帝」というのは、その一例である。

また、イスラム世界には、「カリフ」というものがある。カリフとは、イスラム教徒(ムスリム)の共同体を宗教的・政治的に指導するリーダーのことである。

イスラムの勢力が勃興した当初は、イスラム教徒の共同体は小さな国にすぎなかった。その当時のカリフは皇帝とはいえない。しかし、イスラム教徒の国は勢力を拡大して大帝国となり、さらに権力闘争の結果、もともとは選挙で選ばれていたカリフの位が世襲に変わった。それによって、カリフは皇帝のような存在になった。

ただし、イスラムの帝国のその後の歴史のなかで、カリフは実権を失い、象徴的な存在になっていった。そして新たに、日本でいえば征夷大将軍のような「スルタン」などの名称の実権を持つ支配者があらわれた。このスルタンの支配する国が大帝国に発展した場合、スルタンは皇帝なのである。

比較的最近のイスラムの大帝国であるオスマン帝国(1500年代~1900年代初頭)を統治したスルタンは、まさに皇帝だった。

 

現代世界に帝国はあるか

ところで、現代の世界に帝国というものは存在しているといえるのだろうか?

第一次世界大戦(1914~1918)の結果、オスマン帝国、ロシア帝国、オーストリアを中心とするハプスブルグ帝国といった、古代・中世の遺物のような帝国は滅亡してしまった。第一次世界大戦の少し前に、中国の清王朝も辛亥革命(1911)によって倒された。

そして、第二次世界大戦(1939~1945)以後の世界では、ヨーロッパに支配されていたアジア・アフリカの植民地が次々と独立して、ヨーロッパ諸国による植民地帝国も崩壊した。

そこで、現代世界では明確に帝国といえる国家は存在していない。国名として帝国と称している国もない。1970年代にはアフリカの国のなかに「帝国」などと称する国家(国際的にも承認)があったが、その政権はとっくに崩壊してしまった。

ただし、アメリカ合衆国は現代の世界で、「大帝国(単なる帝国ではない)」的な実態を持つ唯一の国家といえるだろう。アメリカは明白に帝国のかたちをとっているわけではないが、世界各地の同盟国に米軍基地を置き、それらの国の外交や安全保障の基本方針に絶大な影響を与えている。

それはあからさまな「支配」ではないが、ある程度それに近いものだ。そこで、アメリカは現代において、あいまいでソフトなかたちでの、世界規模の「大帝国」を築いていると見ることもできる。

ただしこの「大帝国」は、近年はかつてほど強固ではなくなってきている。アメリカ自身が大帝国をやめたがっている面もある。また、近年の中国はアメリカのような世界規模の大帝国を自分たちなりに築くことを志向しているが、まだその域には到底達していない。

 

帝国の再編成としての巨大国家

そして、中国やロシアという巨大な国家には、今も「帝国」的な性格が残っている。

中国もロシアも広大な国土に数多くの民族(少数民族)が暮らし、それらの民族を独裁的な中央政府が支配している。少数民族のなかには独立を望む勢力も存在するが、中央政府が徹底的にその動きを弾圧しようとする。これは、世襲の皇帝こそいないが、「強大な権力が多数の民族を力で支配して束ねている」という点で、帝国的な状態だといえるだろう。

現代の中国やロシアは、「かつての帝国を現代的に再編成したもの」なのである。

そして、帝国の現代的な再編成のひとつの手法として「連邦国家」というものがある。今のロシア連邦や、その前身であるソビエト社会主義共和国連邦は、まさにそうだ。

 

連邦国家という分権のかたち

連邦国家とは何か。それは、憲法によって中央からの一定の独立性が定められている複数の地方政府と、それらを束ねる中央政府によって構成される国家のことである。

中国(中華人民共和国)も、国名に「連邦」は入っていないが、連邦国家的な面がある。広汎な自治権を与えられたいくつかの少数民族の「自治区」が、国を構成する一部となっている。

日本には、都道府県という地方自治体があるが、ここでいう連邦国家ではない。

連邦国家のポイントは「憲法による分権」という点である。そこが単なる「地方分権」とは異なる。

日本でも地方分権ということが言われ、それが検討されたり限定的に実現したりもしているが、その「分権」の中身は国会が定める法律を根拠にしている。これに対し連邦制度は、地方分権の一種ではあるが、その内容を憲法によって定めるのである。

法律と憲法はどうちがうのか? 国の根本法規である憲法は、法律にくらべて改正などがはるかに難しい。国によって制度がちがうものの、一般に法律は国会で過半数の賛成があれば決めることができるが、憲法は国民投票を経るなどの通常の法律よりも高いハードルを超えないと改正・制定ができない。

憲法によって地方政府の独立性が定められているということは、それだけ強固で安定した独立性を有しているということだ。

そして、連邦国家における地方政府は、日本のような連邦国家ではない国の地方自治体よりも、ずっと幅広い権限を有している。独自の憲法や、刑法、民法、税制などの独自の法体系を定めていたり、地方政府としての(おもに治安対策としての)軍隊を持っていたりする。外交や国際的な軍事以外の権限は、ほぼ有している。

そのような地方政府の集合体を、中央政府が束ねているのが連邦国家である。

ただし、地方の独立が強固に認められているといっても、中央政府は憲法に基づく枠組み内で、各地方の市民に直接権限を行使することもできる。たとえば、重大な犯罪事件について、普段の地方警察ではなく、中央の連邦警察(アメリカのFBIのような)が捜査するといったことがある。

 

現代世界の連邦国家

現代世界における代表的な連邦国家は、アメリカ合衆国である。アメリカの各州は、以上で説明したような独立性を持った地方政府である。日本語訳では「連邦」とはなっていないが、「ユナイテッド・ステイツ」とは「共和国の連合=連邦」ということだ。「アメリカ合州国」と訳すべき、という意見もある。

ほかに現代世界の主要な(大規模な)連邦国家としては、アメリカ合衆国のほか、カナダ、ドイツ連邦共和国、ロシア連邦、ブラジル連邦共和国、メキシコ合衆国、インド、パキスタン=イスラム共和国、ナイジェリア連邦共和国などがある。

これらの国ぐにの多くは億単位または億に近い人口であったり、広大な国土を有していたりする。連邦国家は、典型的には多様性に富んだ巨大な国がひとつにまとまるための制度だといえる。いろいろと異なる各地域や民族の集団ごとの一定の自治を認めたうえで、ひとつの国として統合しているのである。

なお、上記のなかでドイツは、ほかの大国とくらべるとやや小さく思えるが、人口8000万を超えるヨーロッパのなかで最大の国家である。

また、1800年代後半に「ドイツ帝国」として統一される直前の時代には20数か国の王国やそれに準ずる小国に分かれていた。それらの国が連邦を構成して「ドイツ」としてひとつにまとまったという歴史から、ドイツでは連邦国家という体制が今も続いているのである。このような歴史は、同じヨーロッパの主要国でも、比較的早い時期に統一の王国を形成したイギリスやフランスとは異なる。

そして、多様性や自治ということを重視すれば、比較的小さな国でも連邦制をとることはある。他民族・多言語の国である人口1100万のベルギー王国や、人口850万のスイス連邦は、その典型的な例だ。

欧米の民主国家の場合には、連邦制は地域ごとの自治や多様性を実現する制度として機能している。憲法で定めたルールが尊重されているからだ。中央政府が地方政府の権利や権限を不当に犯したりすることは、原則としてあり得ない。少なくともそれがコンセンサスになっている。

しかし、ロシアや中国のような民主主義が不完全な独裁的国家は、ちがう。憲法よりも中央の権力者の恣意のほうが優先される傾向が強いので、地方政府の独立性は、不安定で薄弱なものだ。

そのような国では、日常的な行政は地方政府に委ねられるとしても、地方が中央の方針に反する改革などを行おうとすれば、中央政府からの圧力がかかり、最終的には軍隊が派遣されることになる。

これは、ローマ帝国の間接支配と本質的には同じである。非民主的な国家の場合、連邦制は帝国の現代版のようになっている。

***

日本は、大帝国を形成したことはないし、大帝国の支配を受けたことも(アメリカの占領を除いて)ない。そして、連邦国家でもない。だから私たちには、「帝国」や「連邦」という概念について、理解しにくいところがある。しかし、だからこそこれらの概念をおさえておくと、歴史や世界についてのモヤモヤとしていた部分が、かなり整理されるところがあるのではないだろうか。



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一気にわかる世界史

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参考文献  

秦始皇帝

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分権と連邦制

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