そういち総研

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震災のときのあかりの工夫と、最古の文明のあかり・オイルランプの歴史

震災で停電のときに役立つ、たとえばアルミカップに油を入れてティッシュの灯芯に火をともす簡易な照明。これは、文明のはじまりの時代に生まれたオイルランプと基本的には同じものだ。

目 次

 

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震災のときの簡易なあかり

震災による停電があると、身のまわりのものを用いた簡易なあかりの工夫が話題になる。東日本大震災でもそうだったし、先日の北海道地震の関連でも取り上げられている。

たとえばこのあいだテレビでは、シーチキン缶を用いたあかりが紹介されていた。シーチキンの缶をあけ、中身にティッシュをよってつくった芯(灯芯)をさしこむ。芯の先にライターなどで火をつける。灯芯はシーチキンの油を燃料にして燃え続ける。1時間くらいは持つそうだ。火が消えたあと、缶詰の中身は食べてしまえばよい。

番組では、バターのカタマリにティッシュの芯をさして、まるでろうそくのように用いる方法も取り上げていた。

番組では出ていなかったが、オリーブ油やサラダ油などの食用油を用いる方法もある。陶器や金属の器に油を入れ、ティッシュペーパーの灯芯に火をともす。缶詰の空き缶や、弁当のおかずを入れるアルミカップなどが使える。

油の入った器に灯芯をさして火をともす――そんな簡素きわまりないあかりでも、被災地では役に立つ。それだけきびしい状況だということだ。

そして、このような簡素なあかりを、オイルランプという。このオイルランプこそ「最古の文明のあかり」であり、有史以来広く用いられてきた。


最初の文明のあかり

オイルランプがつくられるようになったのは、おそくとも今から5000年前頃のことだ。世界で最も古くから文明が栄えた地域である、メソポタミア(今のイラク、シリアにあたる)でのことだ。

初期のオイルランプはおもに陶器でできた、小さな皿のようなものだった。そこに油を入れて、灯芯をセットする。今までにみつかった最古のオイルランプは、4500年前の銀製のものだ。これは高級品でそれなりに発達したものなので、さらに以前からオイルランプはあったものと考えられている。

メソポタミアの文明や国家が成立したのは、5500年前頃である。最古の文字は5300年前頃にメソポタミアで生まれている。やや遅れてエジプトでも国家が生まれた。おおまかにみて、文明のはじまりの時代にオイルランプも登場したのである。

その後オイルランプは、世界の広い範囲に普及していった。古代の中国でもメソポタミアとは別に、独自に発明されている。

オイルランプは簡単な工夫のようにみえるが、画期的なものだった。それは、はじめての「室内で日常的に用いる、照明専門の器具」だった。そして、文明のはじまりの時代に登場した。そのような意味で「最古の文明のあかり」なのである。

オイルランプ以前からあった松明(たいまつ)は、室内で用いることは困難だった。囲炉裏や暖炉の火は、あかりの役もはたしたが、照明専門ではない。

なお、ろうそくは「燃料を固形化したオイルランプ」といえるだろう。その発明の時期や場所ははっきりしないが、オイルランプからやや遅れてメソポタミアやエジプトで生まれた可能性がある。4300年前頃のエジプトの王の墓から、ろうそくを飾る燭台がみつかっている。


燃料はすすが出ないことが重要

そして、燃やしてもすすや煙の少ない、精製された植物油をおもな燃料としたことも、オイルランプの特徴である。ただし、場合によっては魚や動物の油やバターも用いられた。最初に述べたシーチキン缶の油も魚の油であるし、バターを用いるというのは、古い時代にも行われていたのだ。

燃料の油の種類は、時代や地域によって異なる。古代のメソポタミアやエジプトではゴマ油やヤシ油が用いられた。地中海沿岸ではオリーブ油が古代から広く用いられ、のちに西アジア(中東)にも広まった。

江戸時代の日本では、ナタネ油がメインだった。オリーブ油はオリーブの実の種から、ナタネ(菜種)油は菜の花の種からしぼったものである。

なお、日本式のオイルランプのあかりを和紙のシェードで囲んだのが、行灯(あんどん)である。行灯が普及したのは江戸時代のことだ。それ以前は、室内では油の入った皿と灯芯だけのあかりが一般的だった。

あとでも述べるように植物油を精製することは、たとえばブドウから果汁をしぼるように簡単にはいかず、それなりに工夫された装置がいる。また、そのような装置で量産したものに対する需要も見込めないといけない。だから、文明や国家が成立した時期とオイルランプの出現は重なっているのである。

そして、オイルランプの燃料にとってとくに重要な性能は、燃やしたときのすすの少なさである。

たとえば、こういうことがある――日本では、江戸時代以前はエゴマ油というものを使っていた。エゴマはゴマではなくシソの仲間で、その種から油がとれる。しかし、江戸時代になると、急速にナタネ油におきかわっていった。

エゴマ油を燃やすとすすが出るが、ナタネ油はほぼ出なかった。そのようなクリーンな燃料であることが知られるようになって、ナタネ油が急速に広まったのである。すすが多く出る燃料を燃やし続けると、家のなかは真っ黒に汚れてしまう。

なお、燃やしたときの明るさは、エゴマ油もナタネ油もほぼ同じである。ただし、種から油をしぼるのは、エゴマ油のほうが明らかに簡単だという。おそらく、油のしぼりやすさから当初はエゴマ油が普及していたのだろう。

またオリーブ油も、燃やしてもすすが出ないすぐれた燃料だった(サラダ油も、すすが出ない)。

すすが出る・出ないは、油の主成分の分子構造のちがい(二重結合の炭素原子がどれだけ存在するか)によるものだそうだ。ナタネ油の主成分のオレイン酸には、二重結合の炭素原子が少なく、エゴマ油のリノレン酸にはそれが多く存在する。


オリーブ油の製造技術を進歩させたギリシア人

そして、オリーブなどの植物の堅い種から、純度の高い油をしぼり取るのは、相当な手間がかかる。最初にオイルランプが発明されたメソポタミアでは、油の製造技術が不十分で生産に限界があり、オイルランプの明かりは貴重品だった。どの家庭でも毎日ランプを使うなど、無理なことだった。

しかし2000数百年前の古代ギリシア人は、オリーブ油の製造技術を大幅に進歩させた。ギリシア人は、オリーブの実やその中にある堅い種をつぶして油を搾り取るのに、一種の機械を用いた。テコの原理やネジなどの仕掛けで、つぶした種に圧力をかける装置(圧搾機)である。もっと簡単な仕掛けでも油を取り出すことはできるが、大量生産にはかなり高度な装置が必要だった。

オリーブ油の圧搾機の原型は、シリアなどの西アジアで発明されたが、そのような装置をギリシア人は発達させて、最初に広く用いるようになったのである。


古代ギリシアで用いられたオイルランプは、急須のような形の陶器でできたものが一般的だった。丸いボディにオリーブ油を入れ、急須の口の部分から出ている芯に灯をともす。

古代ギリシアのオイルランプ(そういち作画)

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最盛期の紀元前500~300年代の古代ギリシアでは、こうしたオイルランプが各家庭で日常的に用いられるようになった。アテネのようなギリシアの主要都市では、市街の中心部や重要な公共施設でも、ランプが設置されることがあった。古代ギリシアが栄える以前には、それだけの明かりを使う生活は、存在しなかった。
 
オリーブ油の生産は、ワインや精巧な陶器などの工芸品と並ぶ古代ギリシアの重要な輸出産業であり、ギリシアの発展の原動力となった。ギリシアは岩地が多く耕地面積がかぎられるため、コムギなどの穀物を自給することがむずかしかった。そこでオリーブやブドウの栽培に特化していったのである。

オリーブ油やワインは、アンフォラという両脇に持ち手がついた陶器の壷に入れて運ばれた。大量に用いられたアンフォラは、古代ギリシアを代表する生活用品といっていい。

こうした、当時としては高度な「工業製品」を輸出する一方で、コムギなどの食料や、その他のギリシアにはないものを大量に輸入したのである。西アジアや地中海の全域から、さまざまな物資がギリシアのポリスに集まり、当時の最も発達した文明生活を支えた。

このように古代ギリシアは、歴史上はじめて「夜の明かりが一般的になった社会」だった。

夜の明かりの普及は、日常の暮らしばかりでなく、文化のありかたも大きく変えたはずだ。夜でも本を読めるようになれば、そのぶん学問も発達する。2000数百年前のギリシアでは、哲学などの学問がおおいに発達したが、その背景のひとつに「オリーブ油の量産による、夜の明かりの普及」がある、ということだ。

 

オイルランプの時代が続く

オイルランプは古代ギリシア以降も、世界各地で使われた。ローマ帝国(1世紀頃からとくに繁栄)にも、ギリシア以来のオイルランプの伝統は受け継がれた。そして、ローマ帝国が衰退して以降、西暦700年ころから繁栄して1000年頃には絶頂期を迎えたイスラムの国ぐにでも、ギリシアやローマのものと基本的には同じ構造のランプが使われ続けた。

その後もオイルランプは1900年代に電灯が普及するまで、主要な照明器具だった。つまり、メソポタミア文明以降5000年ものあいだ、オイルランプは原理的には変わらないまま使われ続けたのである。

産業革命の頃(1700年代後半~1800年頃)には、ガラスのホヤ(火を覆う円筒)や金属のパーツを用い、オイルの燃焼の機構に精密な工夫をこらした、近代的オイルランプといえるものもつくられるようになった。

1780年代の「アルガン灯」は、そのような完成度の高いオイルランプの代表である。これは、スイス人のアルガンという技術者が、蒸気機関の改良で有名なワットの会社である、イギリスのボウトン・アンド・ワット商会で完成させたものだ。アルガン灯の構造や機能の基本は、1800年代後半に発達した石油を燃料とするオイルランプ(石油ランプ)に受け継がれた。

そして、産業革命の時代どころか、日本でも1950年代頃までは、山村などの田舎で石油ランプが使われることがあった。限られた一部の地域では、電気がまだ普及していなかったのである。今70~80歳代以上のお年寄りには、子ども時代にランプのあかりで暮らしたことのある人もいるということだ。

人間は、文明国においては数千年にわたる有史以来のほとんどの期間を、オイルランプのあかりで過ごしてきたのである。オイルランプのあかりは「文明の基本」をあらわす象徴的なものといえるだろう。

2011年の東日本大震災のとき、都内の私そういちの住む地域が計画停電となった。我が家は震災で深刻な被害を受けたわけではなかったが、停電で部屋も辺りも真っ暗になると、心細い感じがした。

そのとき、防災グッズとして持っていたろうそくのあかりをともした。小さなあかりだが、ほっとする。その感覚は現代の私たちも紀元前の人びとも、基本的には変わっていないはずだ。

メソポタミアの文明、古代ギリシアの文明については、当ブログのつぎの記事を。 

 

参考文献

オイルランプの文明における重要性や「すすが出る油・出ない油」など多くのことを、①板倉聖宣・阿部徳昭『あかりと油』(いたずら博士の科学だいすきⅠ―⑤)小峰書店、2013年 ②板倉聖宣「オリーブ油と本と民主政治」『たのしい授業』仮説社、2006年1月号 から教わった。阿部さんは宮城県の小学校の先生で、東日本大震災のときの停電の経験を①で述べている。 

あかりと油―油をもやす (いたずら博士の科学だいすき1)

あかりと油―油をもやす (いたずら博士の科学だいすき1)

 

 ほかにつぎの本を参照した。とくに⑤は古代のオイルランプについての貴重な資料。

③R.J.フォーブス『古代技術の歴史 下Ⅱ』朝倉書店、2011年

④フォーブス『技術の歴史』岩波書店、1956年

⑤古代オリエント博物館の展覧会資料「地中海のともしび―フェニキア、ローマ、ビザンチンのオイルランプ 中山&オルセッティ・コレクション」企画・執筆:堀晄・津村眞輝子・D.M.Bailey、1997年

⑥乾正雄『ロウソクと蛍光灯』祥伝社新書、2006 年

ロウソクと蛍光灯―照明の発達からさぐる快適性 (祥伝社新書)

ロウソクと蛍光灯―照明の発達からさぐる快適性 (祥伝社新書)

 

 以 上