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「共和国」「王国」とは何か 国の名称や体制についての基礎知識・その1

「共和国」「帝国」「連邦」のような、国の体制に関する名称について、基本的な意味を確認しておこう。歴史や社会を知るうえでの基礎概念である。この記事では「共和国」について。

この記事で述べる定義・説明(一部)

【共和国】国王のいない国
【国王】世襲(家系)による国の支配者
【民主政】国の政治的な意思決定に、国の多数派が参加できる体制
【独裁】
政治的な決定が少数者や特定の個人に独占される体制
【元首】
王国、共和国を問わず、国の代表者
【大統領】
共和国の元首として最も一般的
【首相】
国会で選出される行政府の長


目 次

 
共和国と王国

共和国とは、要するに「国王のいない国」だ。国王のいない政治体制は「共和政」である。

「国王」「王」とは、ここでは「世襲による国の支配者」全般をさす。そしてその支配者は、特定の1人の人物が前提である。

そのような世襲による国の支配者は、歴史のなかで国によっていろいろな称号で呼ばれてきた。皇帝、天皇、ツァーリ、スルタン、ハーン等々……

それらはどれも名称にかかわらず、「世襲による国の支配者」という点で、「国王」「王」の一種である。そういう一般的な意味での「王」のことを「君主」ということもある。

また「世襲」とは、「おもに血筋・家系を根拠に、その地位を受け継いでいる」ということである。

なお、「皇帝と国王の違い」というテーマもあるが、それはまた別の機会に。とりあえずここでは「皇帝も、国王の一種である」「数多くの異民族をも支配する強大な国王のことを、とくに皇帝という」ということを確認して、先へすすもう。

そして、「共和国」に対置される概念は、「王国」あるいは「君主国」ということになる。国王が治める政治体制は「王政」である。

 

共和国が民主的とは限らない

ときどき誤解があるが、共和国(国王のいない国)であるからといって、民主的な体制とはかぎらない。

民主的な体制(民主政あるいは民主制)とは、国の政治的な意思決定に、国の多数派が参加できる体制のことだ。

どのくらいなら「多数派」といえるかは、むずかしいところだ。ただ、必ずしも現代の民主国家のように、成人の国民全員である必要はない。

古代ギリシアのアテネの民主政では、「市民」としての参政権がある成年男子は、総人口(紀元前400年代の最盛期には20~30万人)の数分の1に過ぎなかった。しかし、それでも社会全体のかなり分厚い層ではあるので、民主政といわれるのである。

「民主政ではない共和国」としては、たとえばベネチア(ヴェネツィア)共和国はそうだった。ベネチアは、おもに中世のイタリアで繁栄した都市を中心とする国家(都市国家)である。この国は、国王はいなかったが、少数の貴族が支配する国だった。

ベネチアは、最盛期(1400~1500年代)は都市部の人口が十数万人だった。その1~2%の1000~2000人の「貴族」とされる人びとが、政治的な決定権を独占していた。99%が参政権を持たないわけで、これは民主的な体制とはいえない。

そして、貴族によって選出される国家元首がベネチアの統治者だった。国家元首(元首)とは、王政、共和政を問わず、国を代表する存在全般を指す。

このベネチアの元首は終身制だが、世襲ではないので「王」ではない。また、法的にさまざまな行動の制約も受けていた。つまり終身制の大統領という感じである。このようなベネチアの体制は、「民主政ではない共和国」の典型だ。

また、現代世界にも「民主政ではない共和国」は、たくさんある。中国(中華人民共和国)は世襲の君主がいない共和国だが、中国共産党の幹部が国政の意思決定を独占する体制である。その幹部の選出に国民はいっさい関与できない。これは、現代の先進国の基準では民主政ではない。

政治的な決定が少数者や特定の個人に独占される体制を、「独裁」という。

このような独裁体制となっている共和国は、もちろんほかにもある。今の世界では、新興国や発展途上国のかなりの国ぐにがそうだといえる。

ただし、民主化ということは程度の問題であり、「民主政であるか否か」の線引きはむずかしいところがある。

一方、現代のアメリカ合衆国、ドイツ連邦共和国、フランス共和国、イタリア共和国、大韓民国といった主要先進国の大部分は、「民主政の共和国」である。そして、「民主政の共和国」は、現代世界の国ぐにのなかで最も有力な主流派といえる。国の数としてはともかく、世界のなかでの影響力が大きいのである。

 

共和国の元首・大統領

そして、共和国を代表する国家元首の呼称として最も一般的なのは「大統領」である。ただし、この大統領には、国を統治する実権を持っている場合と、そうでない場合とがある。

先ほどあげた国ぐにでは、アメリカ、フランス、韓国の大統領は「実権のある大統領」である。

一方、ドイツ、イタリアの場合は、大統領は一定の政治的な役割を果たすことがあるものの「国の象徴」的な面が強く、政治の実権は首相が担っている。だから、私たちはふつうはドイツやイタリアの大統領という存在についてあまり知らない。

共和国の元首である大統領には、「実権」の有無によって2つのタイプがあることを知っておこう。

 

大統領と首相のちがい

では、そもそも大統領と首相は、どうちがうのか。

首相は、国会(議会)で、一般的には議員の多数派によって選出される行政府の長である。

これに対し大統領は、「実権のある大統領」の場合は、国民による選挙で選ばれる。「国の象徴的な大統領」の場合は、国会によって選ばれるのが一般的だ。

首相にしても2つのタイプの大統領にしても、選出の具体的な方法は国によってさまざまだが、基本的に以上のような、「国民による選挙」か「議会による選出」かという点でちがいがある。

また、共和国の元首の呼称としては、たとえば中国の「国家主席」のような大統領以外のものもあるが、それについては後で。

 

ほとんど共和国に近い王国

そして、「ほとんど共和国に近い王国」が、世界にはある。その代表がイギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合国)とわが日本国である。

これらの国では、国王・天皇は政治的な権限が皆無、あるいは法的にはゼロになっている。つまり、政治権力を持つ「国の支配者」としての国王は存在しない。その意味で事実上「ほぼ共和国」といえる。そして、民主的な体制でもある。

このような「国王はいるけど、ほぼ共和国で民主政」の国として、ほかにはオランダ王国、スウェーデン王国、ノルウェー王国、スペイン(国名も単に「スペイン」)などがある。

かつては(おもに1800年代~1900年代前半には)「立憲君主制」という、体制の重要な選択肢があった。これは、国王・君主の権力を、憲法によって規定する体制のことだ。この体制では、一般には君主の権限は憲法の制約を受ける。しかし一方で君主は、相当な(あるいは強大な)権限を持っていることが前提となっていた。

明治憲法(大日本帝国憲法)における日本の体制も、立憲君主制の一種だった。

ただし、明治憲法下の天皇制については、天皇が諸々の国家機関の上に立つ存在と規定されており、法の解釈・運用しだいでは絶大な権力者にもなり得たことから、「絶対王政」の一種だという説も昔は有力だったが、今は下火である。

しかし、このような「君主が一定以上の権力を持つ」という意味での立憲君主制は、現代では廃れてしまった。今のイギリスや日本の体制は、たしかに形式的には立憲君主制の一種だが、実態としてはそう呼ぶのはふさわしくないと、私は思う。

かといって一般的な呼び名もないので、仮に「ほぼ共和国」とでもいっておく。

イギリスや日本という「国王がいる、ほぼ共和国」では、大統領というポストは存在しない。象徴的に国を代表する存在である国王とかぶってしまうからだ。どちらの国でも政治の実権者は首相である。

なお、日本は、明治憲法下(戦前)の国名は「大日本帝国」だったが、戦後の日本国憲法では「日本国」となった。

戦前には異民族をも支配する強大な王国=帝国を名乗っていたのだが、「象徴天皇制」となり、平和主義が基本方針となったので、「帝国」や「王国」とはいわなくなったのである。しかし天皇制はかたちを変えて存続していて「共和国」でもないので、ばくぜんと「日本国」と称したということだ。

 

「社会主義」「人民」「民主」の共和国

世界の共和国のなかには国名に「社会主義」「人民」「民主」というワードが入っている国もある。

たとえば、ベトナム社会主義共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、スリランカ民主社会主義共和国、バングラデシュ人民共和国、ラオス人民民主共和国……

これらは、「社会主義を掲げる政党が一党独裁のかたちで支配している(していた)国」である。

ただし社会主義については、これらの国ぐには北朝鮮を除き、今はそれを程度の差はあれ事実上放棄している。また、スリランカやバングラデシュでは、一党独裁ではない、ある程度は自由な選挙を行う体制になっている。

つまり、「社会主義」「人民」「民主」というワードの入った共和国は、もともとは「一党独裁の社会主義国家」だったのだが、現在は社会主義については多くの場合過去のものになった。そして一党独裁はかなり残っているものの、一部の国では崩れている、ということである。

そして、「社会主義」「人民」「民主」の共和国における一党独裁では、共産党などの社会主義政党が、憲法をも超越した絶対権力として国を支配している。中国やベトナムは、その代表格だ。

なお、中南米のキューバは、今も社会主義の党が独裁的に支配する共和国だが、国名は単に「キューバ共和国」である。

*この項は、国名のなかの「社会主義」「人民」「民主」のワードに注目する視点を含め、さまざまな情報を、板倉聖宣『世界の国ぐに』(仮説社)に学び引用している。

 

「主席」という国家元首

そしてこのような「社会主義の党が支配する国」では、国家元首が「大統領」ではないことが多い。アジアでは「国家主席」というのが一般的だ。たとえば中国、ベトナム、ラオスではそうだ。

なお、北朝鮮でも1990年代末まで国家主席のポストがあったが、現在は廃止している。スリランカとバングラデシュの国家元首は大統領である。

また、かつてのソビエト社会主義共和国連邦(ソ連、1991年に崩壊)では、末期の頃を除き、「最高会議幹部会議長」が国家元首だった。ただし、これは象徴的な存在で、政治の実権は共産党の「書記長(ソビエト連邦共産党書記長)」が握っていた。書記長は「最高指導者」とも呼ばれていた。

そして、ソ連に従属していた東欧の社会主義国では、多くの場合、国家元首は「国家評議会議長」だった。

聞き慣れない役職が、いくつも出てきてややこしくなってしまった。

要するに、社会主義国では、「資本主義・自由主義の国とは異なる原理に基づく革新的な体制」だと主張する一環として、国家元首について独特のポストや名称が採用されてきたのである。

その後、ソ連(ロシア)や東欧では社会主義体制の崩壊とともに、「社会主義」「民主」「人民」のワードは国名から消えて、国家元首は大統領が一般的になった。

一方アジアでは、今も社会主義的な国名や元首の役職がかなり残っている(ほかの地域にもあるが、アジアはとくに多い)。

しかし、これからはアジアでも変わっていくのだろう。

たとえばモンゴルは、ソ連の時代にはその衛生国として「モンゴル人民共和国」と称していたが、1992年に「モンゴル国」に変わった。

当時は「こういう国がこれから一挙に増えるのでは」とも思ったが、その後のアジアではそうでもなかった。社会主義的な国名がさらに減っていくには、中国の体制が変わるなどの大変動が必要なのかもしれない。

***

「共和国」に関しては、以上のようなことを知っておくと、歴史や政治・社会のいろいろなことを理解するうえでプラスになると思う。

国の体制に関するワードとしては、あとは「帝国」「連邦」ということもとくに重要だが、これは別の機会に。

 

 

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