そういち総研

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三権分立のほんとうの意味・アメリカ合衆国の基本設計

「三権分立」は、教科書でもおなじみの、政治のしくみに関する基本原理である。しかし、そのほんとうの意味を理解している人は少ない。三権分立は、じつは権力の相互けん制や均衡のしくみなどではない。このことを、本格的な三権分立のしくみを最初に採用した国家である、アメリカ合衆国の政治制度からみてみよう。


アメリカ合衆国憲法の制定過程については、本ブログのつぎの記事を。 

アメリカ建国の父の1人、ベンジャミンフランクリンについて 

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目 次

  

長持ちしているシステム

アメリカ合衆国は、非常によく設計されたひとつのシステムである。建国時の基本設計がすぐれていたために、それ以来大幅な更新をする必要がなかった。

1700年代末、建国時のアメリカは、辺境の小さな共和国にすぎなかった。それが200年以上経ち、世界最強の超大国になった今でも、政治システムの基本は変わっていない。これほど成功し長持ちしたシステムは、世界史上でもかぎられるだろう。
 
アメリカの政治システムの特徴は、つぎの3点である。

①三権分立 ②上下二院制 ③大統領制

これらは、合衆国憲法に盛り込まれている。そして、どれも建国当初から変わっていない。また当時は、どの国にもみられない新しい制度だった。


三権分立のほんとうの意味

以上の3つのなかでも、三権分立は全体の基本構造にかかわるとくに重要なものだ。アメリカ合衆国は、明確な三権分立を採用した最初の国家だった。

三権分立とは何か。「三権」とは、「司法」「行政」「立法」という国家の権限のことだ。それぞれの権限をおもに担うのは、裁判所(司法)、官僚機構と首相あるいは大統領(行政)、国会・議会(立法)といった機関である。

そして三権分立とは、3つの権限を担う機関のあいだの相互のけん制や均衡のしくみである、などとよくいわれる。しかし、じつはそれでは不十分だ。では、どう考えればよいのか。
 
国家でも企業でも個人でも、「何かを行う」というのは、大きく3つの段階から成っている。「大きく分けたらこの3つ以外考えられない」といったほうがいいかもしれない。

1.何をするか・どうあるべきか決める(Plan=企画・計画)
2.実行する(Do=実行)
3.結果を当初の決定に照らしてチェックする(See=検証)

ビジネス書などではおなじみのPlan→Do→Seeのサイクル。じつは三権分立とは、この各段階を、ひとつの政府機関ではなく、3つの機関にそれぞれ分担させるシステムなのである。

Planにあたるのが立法≒議会、Doが行政≒官僚機構(および首相・大統領)、Seeが司法≒裁判所である。

国家レベルでのPlan→Do→See(計画―実行―検証)。それが三権分立なのである。これは、「3つの機関の相互けん制・権力均衡」といった、三権分立についてのよくある説明とは、だいぶちがう。しかし、これがほんとうの「三権分立」の意味だ。

なお、これは筆者そういちの独自の見解ではない。滝村隆一(1944~2016)という政治学者――非主流ではあるが、知る人ぞ知る学者の説にもとづいている(滝村の説については、末尾の「参考文献」の項で紹介)。

 

司法の独立とチェック機能

近代以前の国家では、行政(官僚・警察)を握っている権力が、立法も司法も握っていた。たとえば、徳川幕府の支配のもとでは、立法はもちろん、その具体的な執行や違反者の処罰も、ぜんぶ幕府の権限である。幕府の任命する「お奉行さま」が警察などのほか、裁判官も兼ねていた。
 
つまり、徳川幕府のような近代以前の政府では、政治におけるPlan→Do→Seeの区別や分担が、はっきりしていなかった。

そんな三権が分かれていない状態から、議会という「立法」専門の機関を分化させ、裁判所を行政や立法から切り離し「司法」を独立させることで、三権分立というしくみはできている。

そして、司法は「独立」の立場から、裁判を通じて立法や行政をチェックする。国の最高のルールである憲法に反する立法が行われないか。法の主旨に反する行政がなされないか。そのようなチェック機能は、近代以前の国家では、存在しなかった。

「独立」ということでだいじなのは、「人事権の独立」である。首相のような行政のトップも、国会でさえも、最高裁長官のような司法のトップをクビにすることはできない。それが簡単にできたら、独裁国家である。

政府であれ企業であれ、ダメな組織というのは、計画―実行―検証のプロセスをきちんと押さえる体制になっていない。とくに、「検証」の部分が弱いために、問題への対応が遅れたり、発展の可能性がおさえられたりする。三権分立は、その限界を克服しようというものだ。

司法はもちろん国民の違法行為もチェックする。しかし、三権分立における司法の最大の特徴は、国家権力自身の過ちや問題に対するチェック機能なのである。


ユニークな上下二院制

つぎに、「上下二院制」をみてみよう。建国当時のアメリカでは、国の基本的なありかたについて二つの意見が対立していた。ひとつは「州の独立性を大事にした、州どうしのゆるやかな連合体にすべきだ」という意見。もうひとつは「ひとつの国として強力な中央政府が必要だ」という意見である。

上下二院制というのは、対立するこの二つの意見を調和させたものである。

「合衆国の連邦議会をどうするか」については、まず「州ごとに人口比例で議員を選出しよう」という意見があった。だがそれは「州ごとの独立を重んじる」人びと、とくに人口の少ない州の人びとからは反発された。

人口比例による議会では、人口の多い州の意見でものごとが決まってしまい、人口の少ない州は不利である。それでは、「州」という単位は、国の政治にとって重要ではなくなってしまう。だから、「各州の議員数は同じであるべきだ」というのである。一方、「民主主義なら、人口に比例して当然だ」という意見も根強くあった。

当時、人口比例の方針を押し通そうとすると、人口の少ない州が合衆国から離れてしまい、国が分裂するおそれさえあった。そこで、

・人口比例に基づく議会=下院
・各州2名の代表から構成される議会=上院

の二院制とし、下院での決定を上院が否決することも可能にしたのである。

これは、当時(1700年代末)の政治思想の常識からみると、ユニークな発想だった。当時の「常識」では、「王政の国家では、イギリスのように〈貴族院〉〈庶民院〉といった二院制の議会になるかもしれないが、王や貴族のいない共和国では、国民を代表するひとつの議会があればいい」と考えられていたからだ。

しかし、アメリカ建国の父たちは、そうした常識にとらわれることなく、現実的な判断のもとに「〈貴族院〉〈庶民院〉ではない上下二院制」という、新しいしくみを考え出したのである。


上院・下院の役割分担

そして、現在のアメリカの上院・下院の役割分担は、実態としておおむねこうなっている。

・下院:国民生活に密接な経済政策や行政サービスの問題をおもに担当
・上院:外交や国家体制の基本にかかわる問題をおもに担当

国民の生活に密接な問題は、「人口比例」の議会(下院)で、国全体の基本的なあり方・方向性は、「各州の代表」による議会(上院)で、というすみ分けである。(この点についても、滝村隆一による)

上院議員は、はじめは各州の議会で選出されていたが、1913年に憲法が修正され、各州の有権者によって直接選挙されることになった。

ときどき、「アメリカの上院は、日本の参議院にあたる」などという。しかし、日本の参議院は実態としてあまり機能していない「貴族院」の抜け殻のようなものなので、不適当な説明である。


大統領制による統合

つぎに、「大統領制」について。アメリカの各州は、それぞれが独自の憲法や法律を持つ「共和国」である(日本の都道府県には、そのような独自性はない)。アメリカ合衆国は、それらの共和国が連合してひとつにまとまったものだ。そのような国を「連邦国家」という。

上院は、「各州の独立性を重んじる連邦国家アメリカ」を象徴している。そして、大統領制は、「各州を結びつける権力のしくみ」なのである。

アメリカの大統領は、行政や軍事のトップとして強い権限を持っている。先ほど述べた、国家におけるPlan-Do-Seeのうちの「Do(実行)」に関する組織を指揮する権限は、大統領に集中しているのである。そのような強力な権限は、「国民の直接選挙で選ばれる」ということからきている。強力な大統領をおくことで、各州の独立性を保ちながら、国としてのまとまりが保持される。分権と統合の巧みなバランスが保たれるのである。

ただし、アメリカ大統領に無制限の権力があるかといえば、もちろんそうではない。たとえば、三権分立との関係でいえば、大統領には法案を議会に提出する権限がない。そういう、厳格な三権分立の考え方にたっている。

「アメリカでは行政立法(役所主導の立法)が少なく、議員立法(国会議員による立法)が主流」などといわれることがあるが、アメリカでは制度上「議員だけが法案を提出できる」ことになっている。

つまり、「議員立法が主流」なのではなく、「議員立法しかありえない」のである。立法権は議会だけのものであり、大統領=行政にはない、ということだ。それでも大統領が法案を提出したいときは、自分の所属政党の議員に依頼して、その議員の法案として提出させるしかない。また、実際そのようなことが行われている。

このように、アメリカの大統領には三権分立の枠組みのなかで制約も受けるという「弱い」面もあるということだ。

以上、このようにみてみると、「アメリカの政治システムというのは、とても巧妙にできている」と思える。その基本を、200年以上前に考え出したということにも感心させられるのだが、どうだろうか?

 

根底にある柔軟な科学の精神

アメリカ独立=建国は、「アメリカ独立革命」といわれる。新しい国家・社会を生み出した変革だからだ。

そしてこの革命は、「革命によって成立して体制が200年以上続いている」という点で、特別である。ほかの有名な革命とはちがう。フランス革命(1789)とも明治維新(1868)ともロシアの社会主義革命(1917)ともちがっている。

フランスでは革命のあと、1800年代には皇帝ナポレオンの時代になったり、一時期だが王政が復活したりしている。明治政府の体制は、第二次世界大戦での敗戦(1945年)で崩壊した。ソヴィエト連邦も、1991年に解体してしまった。それらの体制は、たしかに成功例ではあった。しかし、アメリカとちがって、せいぜい数十年しかもたなかった。
 
なぜ、アメリカ独立革命は、長持ちするシステムをうみだしたのか。そこには、ほかの革命とは異なる、独特の精神が根底にあったからではないか。柔軟な科学的精神といったらよいだろうか。

その精神をよくあらわす、「アメリカ建国の父」の1人による演説がある。三権分立、上下二院制、大統領制を決めた憲法制定会議(1787)で、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)が行ったものだ。

 

フランクリンの名演説

数か月にわたる憲法制定会議のしめくくりで、当時81歳のフランクリンはこう述べている。

《私は現在のところ、この憲法草案に全面的には賛同しておりません。しかし、議長。「将来も賛同できない」とは、確信がもてないのであります。
と申しますのは、私は長生きしてまいりました。そこで私は重要な問題にかんすることですらよりよく調べ、よりくわしく考慮してみた結果、一度は「正しい」と考えたことも、そうでないことがわかって、自分の意見を変えざるを得ない経験をたびたびしてまいったからであります。…(中略)》

《こうした気持ちで、議長、私はこの憲法に賛成するものであります。たとえ欠点があるのにしても、そのあらゆる欠点を含めてであります。と申しますのは、私は「(そういち注:アメリカ植民地)全体の政府が私たちにとって必要だ」と考えるからであります。そして、「上手に運営すれば、どのような形態の政府であっても、必ず人びとへの恵みとなる」と考えるからであります。》

(板倉聖宣『フランクリン』仮説社、247~248㌻、板倉訳)

たいていの革命家はこういう演説はしない。ほとんどの革命政府は、権力を手にすると「自分たちのつくったシステムは、最高で絶対のものだ」と主張するようになる。

しかしアメリカ建国の父たちは、そんなことは言わなかった。「この憲法には欠点があるかもしれない。しかし、この国には政府と憲法が必要なのだ」と述べたのである。この演説は高く評価され、後世に残った。

最初から完全なもの、まちがいのないものなどありえない。ある程度議論をつくしたら、実行してみる。その結果を検証し、改めるべき点は改める。そうやって、よりよいもの、完全なものに近づいていく。これは、仮説と実験による、科学の精神だ。

 

アメリカへの反発をのりこえて学ぶ

以上は「アメリカ万歳」ではない。現実のアメリカのふるまいには、フランクリンが語ったような柔軟さや科学精神から外れていることがたくさんある。しかし、そういうときのアメリカは、ろくな成果があがっていない。今のトランプ政権も、「科学精神」からは大きく逸脱しているとみていいだろう。
 
世界には、「アメリカは嫌いだ」という人が少なからずいる。アメリカ人にもいる。

しかし、強大な国への反発心から「その国のやり方」に対しむやみに否定的になっているとしたら、損なことだ。本来なら、「その国を栄えさせているすぐれた点」をみつけだし、そこに学べばよいはずだ。

しかしこれは、感情的にはむずかしい。力のあるものに学んで模倣するのは、屈辱感がともなう。どうすれば、その感情をのりこえることができるのだろう? 今はよくわからないので、ここまでにしておく。


参考文献

「近代社会とは何か」を考えるうえで、本ブログのつぎの記事も。

 

・アメリカ独立革命全般については、まずつぎの本を。 

世界の歴史〈21〉アメリカとフランスの革命 (中公文庫)

世界の歴史〈21〉アメリカとフランスの革命 (中公文庫)

 

 ・アメリカの憲法史については、つぎの本などを参照した。

アメリカ憲法史

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・三権分立の意味、上院・下院の役割分担については、滝村隆一『国家論大綱 第1巻(上)』(勁草書房、2003年)など、滝村の一連の著作による。 滝村は、いわゆる左翼系の理論家で、アカデミズムの主流では認められていない。しかし、評論家の吉本隆明(1924~2012)など一部の知識人は、高く評価している。

国家論大綱〈第1巻 上〉

国家論大綱〈第1巻 上〉

 

 滝村は、三権分立についてつぎのように述べている。

《直接には三大機関の分立としてあらわれる、三権分立制の制度論的根拠は、規範としての意志の形成〔立法〕と、定立された規範にもとづく実践的遂行〔執行〕、それにこの規範としての意思の形成・支配の全過程が、定立された規範の規定にもとづいて、正しく実践されているか否かをたえず厳しく監視し、違法行為があった場合には、規範にもとづいて審査し処罰する〔司法〕。このような、〈この三つ以外にはありえない〉という意味での、<三種の論理的な区別>にもとづいているのである。
したがってこのような、〈なにゆえ三権でなければならないのか〉という意味での、本質論的把握は、理論的には意志論としての規範論を、前提として可能となる》

(『国家論大綱』第一巻上、勁草書房、588ページ)

滝村の「三権分立」論に、私そういちは目をひらかされた。この説は、もっと多くの人に知られていいと思う。しかし、《本質論的把握は、理論的には意志論としての規範論…》といった語り口は、広く普及するという点では、たぶんマイナスだ。そこで、ここではPlan→Do→Seeという言葉に置きかえてみた。

・アメリカ合衆国憲法制定の経過や議論については、M.ジェンセン『アメリカ憲法の制定』(南雲堂、1976年)に詳しくまとめられている。

アメリカ憲法の制定 (1976年) (新アメリカ史叢書〈4〉)

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『ザ・フェデラリスト』(岩波文庫)
憲法制定を主導したリーダーたちが、国民にその意義を訴えた論説をまとめた本。三権分立について論じた一節もある。 当時の議論が生き生きと伝わってくる政治思想の古典であり、おすすめ。

ザ・フェデラリスト (岩波文庫)

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板倉聖宣『フランクリン』仮説社、1996年
 フランクリンについて、初心者にも読みやすく、しかも深く述べられている。 

フランクリン (やまねこ文庫)

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(以上)