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鉄道発祥の国・イギリスの鉄道網は、どのような資金や組織によってつくられたのか

鉄道の歴史というと、車両などの技術面にかんする話が多い。しかしそれだけではなく、鉄道がどのような社会のしくみによって生み出されたのか、ということも重要である。つまり、どんな資金や組織によって鉄道は建設されたのか? それを、鉄道発祥の国・イギリスの事例でみてみよう。そこから「近代社会とは何か」ということが浮かびあがってくる。

 

目 次

  

イギリスでの鉄道のはじまり

世界初の鉄道の営業は、1825年にイギリスではじまった。ストックトンとダーリントンという町を結ぶ40キロメートルほどの区間で、蒸気機関車が走ったのである。1830年にはリバプール~マンチェスター間で、より本格的な鉄道路線が営業を開始した。

その後鉄道はイギリスの国じゅうに、そして世界に広がっていった。日本では、1872年(明治5)に新橋~横浜間で最初の鉄道が営業を開始している。鉄道によって、人やモノを大量に・速く・広範囲に運ぶことができるようになり、社会は大きく変わった。

最初の鉄道ができてから20数年後の1850年ころには、イギリスの鉄道の総延長は1.0万キロに達した。イギリスではこの時期までに《主要都市をむすぶ鉄道網が完成していた》という。(マルカム・フォーカス、ジョン・ギリンガム編著『イギリス歴史地図』東京書籍、1983)

イギリスの鉄道の総延長は、1920年代に最大の3.8万キロとなった。しかしその後は、自動車の普及で鉄道の利用が減って、多くの路線が廃止されていった。

2000年現在、イギリスの鉄道の総延長は1.6万キロで、日本は2.7万キロである(JRと私鉄の合計)。日本のほうが多いが、日本の国土面積が38万平方キロであるのに対し、イギリスは24万平方キロで、日本のほうがやや広い。

以下は、イギリスの鉄道の総延長の変化をグラフにしたものである。(データは、ミッチェル『イギリス歴史統計』原書房、1995より)

 

イギリスの鉄道の総延長(1825~1980)
(そういちの著書『一気にわかる世界史』より)

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今度はこのグラフを「片対数グラフ」というものに書きかえる。

 

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片対数グラフは、「成長の勢い」をみるのに便利なグラフである。片対数グラフでは、成長の勢いが一定なら線の傾きも一定になる。片対数グラフでみると、1850年ころまでの成長がとくに急速であるのが明らかだ。イギリスの鉄道は、はじめての路線が開通してから早い時期に急速に整備がすすんだのである。

 

どのような資金でつくられたのか?

ところで、鉄道をつくるには、お金(資金)がかかる。では、最初の鉄道ができてから最初の数十年の間、イギリスの鉄道は、どのような資金によってつくられたと思いますか? 予想の選択肢をたてて考えてみよう。
 
予 想
ア.政府が国の予算(税金)で、公共事業としてつくった。
イ.民間で資金を出しあって会社を設立し、その事業としてつくった。 
ウ.貴族などの少数の大金持ちが、お金を寄付してつくった。




1800年代のイギリスの鉄道は、いくつもの民間の株式会社によってつくられ、運営された。株式会社とは、典型的にはつぎのようなしくみである。
 
・まず、誰かが「こういう事業を行いたい」という計画をかかげて「そのためにお金を集めたい」と呼びかける。

・それに賛同する人たちがお金を出しあう(「出資」という)。1人の出した金額は大きくなくても、多くの人が出しあえば、大きな資金になる。

・その資金を、事業を経営する意欲や能力がある人に託し、会社の経営者になってもらう。経営者は、資金を使って事業を行う。

・事業の利益が出たら、お金を出してくれた人=出資者に、出してくれた出資金の額に応じて利益が分配される(この分配金を「配当」という)。

株式会社のしくみには、時代や国によっていろいろなちがいがある。しかし、その最も基本的なしくみといえば、以上のとおりだ。「経営者のほかにおおぜいの出資者がいる」というのが重要な点である。

社会のしくみの重要性

世の中には「事業をはじめたいが、必要な資金がない」という人がいる。一方で「余ったお金があるが、事業を自分で経営するだけの意欲や能力はない」という人もいる。株式会社というしくみがあると、「資金が必要な人」と「お金が余っている人」をむすぶお金の流れが生まれる。それで、新しい事業がはじまるのである。

1800年代当時、イギリスのおおぜいの人びとが鉄道という新しい事業に期待をかけて、出資・投資をした。株式会社のしくみがなかったら、鉄道のように多くの資金が必要な事業をおこすのは、むずかしかっただろう。

新しい鉄道会社の大部分が成功して利益をあげることができたので、ますます多くの資金が鉄道事業に集まるようになった。そうして、鉄道網が急速に広がっていったのである。

鉄道ができたのは、蒸気機関などの機械の技術が発達した結果である(蒸気機関の実用化は1700年代後半)。しかし、機械の発明だけが重要なのではない。株式会社のような社会的なしくみの発明も、非常に重要なのである。

 

1700年代イギリスの道路整備

今度は、100年ほど時代をさかのぼる。1700年ころのイギリスでのことだ。当時の最も進んだ交通手段は、陸上では馬車だった。1700年ころのイギリスでは、商工業の発展で、馬車で人やモノを運ぶことがますます増えていた。

馬車がスムースに通るためには、道路が砂利や石などで舗装されていることが必要だった。しかし、舗装やメンテナンスが不十分で、デコボコがひどかったり車輪がめりこんだり、という道路が少なくなかった。

交通量が増えるにつれて道路の傷みはますますひどくなっていった。そこで、道路の整備を求める声が強くなった。1700年代には、イギリスの国じゅうのおもな都市を結ぶ道路(幹線道路)について、舗装などの整備が行われた。

では、「1700年代のイギリスの幹線道路の整備」は、どのような資金によって行われたのだろうか? これも、さきほどと同様の選択肢で考えてみよう――「ア.政府の予算」「イ.民間の会社の事業」「ウ.貴族や大金持ちの寄付」。


1700年代イギリスのおもな幹線道路の整備・管理では、各地でつくられた「有料道路会社」が重要な役割を果たした。有料道路会社とは、「多くの人からの資金で道路の整備を行い、道路の利用者から通行料を受け取って収益を得る」事業である。

有料道路会社は、今の株式会社とはちがう点がいろいろある。ただし、「おおぜいの資金に支えられている」という点で、有料道路会社も広い意味での株式会社の一種とみることができるだろう。

 

新しい方法が求められた

道路会社ができる以前、幹線道路の補修は、地域住民が無償で働くことで行われていた。これは法に定められた義務だった。しかし、専門家でない人たちが強制によって行うのである。その仕事の質や効率は低いものだった。


こうしたやり方は、商工業が発達して交通量が増えると、現実にそぐわないものになっていた。時代に即した新しい方法がもとめられていた。

そんなとき、社会の新しい要求にこたえたのは、政府ではなく民間の人びとの試みだった。それが有料道路会社である。

当時はイギリスのような進んだ国でも、政府が道路整備のような公共事業を行う能力は、かぎられていた。たとえば、1700年ころ(1698~1701)のイギリスの政府予算の使いみちは、「軍事費」が約7割、国債の「利払い」が約2割、「民生費」(公共的なサービスが含まれる)が約1割……となっている。これは戦争がなかった「平時」の数字である。(パトリック・オブライエン『帝国主義と工業化 1415~1974』ミネルヴァ書房、2000年)

 

公共のサービスへの適用

株式会社の原型は、1500~1600年代にイギリス、オランダなどのヨーロッパの先進国で生まれた。初期の株式会社の中心は、海外との貿易を目的とするものだった。海外に向けた船や積み荷を用意して乗組員を雇うには、多くの資金が必要である。それをおおぜいで出しあって、貿易で儲かったら利益を分けあう、というものだ。


有料道路会社は、こうした「人びとがお金を出しあって設立する、事業の組織」というしくみを「社会全体に役立つサービス」に応用したものである。このしくみは、これまでの「住民による道路の管理」にくらべると、はるかによくできていた。

会社にお金を出した人も経営者も、事業がうまくいけば、利益や報酬を手にする。道路工事で働く人たちは、ただ働きではなく賃金が支払われる。関係する人たちが、それぞれに個人的な利益を得ながら、「使いやすい整備された道路」という社会の利益を実現できるのである。

最初の有料道路会社は、1600年代後半につくられたが、各地でさかんにつくられるようになったのは、1700年代になってからである。資金提供者の中心は地元の有力な地主たち、つまり相当な資産家たちだった。しかし、時代が下るにつれその層は広がっていき、商人や製造業者などの、より小粒な金持ちも含まれるようになった。のちの鉄道会社の時代になると、出資者の層はさらに広がった。

 

道路→運河→鉄道

道路会社よりも少し遅れて、1700年代後半~1800年代前半には「運河会社」というものもさかんにつくられた。

イギリスでは、河や運河による輸送が重要な役割をはたしていた。運河の建設には、道路以上にお金がかかるが、それを株式会社のしくみを使って進めていったのである。なお、運河会社の前段階で、船の通行のために河川を改修する会社もつくられたが、やや重要性が落ちるのでここでは立ち入らない。

そして、有料道路会社→運河会社と受けつがれてきた株式会社のしくみは、1800年代には鉄道会社に受けつがれ、さらに発展したのである。

1800年代後半には、鉄道会社が「会社組織の最も進んだ形」になっていた。そして、製造業などの鉄道以外の会社も、鉄道会社を自分たちの組織運営のお手本にした。イギリスの鉄道会社は「現代的な株式会社の元祖」といっていい。そのルーツをたどると、1700年代の有料道路会社はとくに重要ということになる。

 

近代社会というもの

鉄道が普及するとともに、道路会社は採算がとれなくなり、道路整備はもっぱら政府の仕事になっていった。鉄道も採算がきびしくなって、現代では政府が経営しているケースも少なくない。このように「時代の変化で採算がとれなくなったが、社会に必要なサービス」は、政府の仕事になる。

なお、イギリスよりも遅れて鉄道の整備がはじまったほかのヨーロッパ諸国や日本では、株式会社による鉄道建設と並んで、政府による鉄道建設も行なわれた。

そもそも1872年に開通した日本で最初の鉄道(新橋~横浜間)は、政府によって建設されたものだ。

そして、明治時代の後半の1905年(明治38、日露戦争のころ)の日本の鉄道路線の総延長は7800キロほどだったが、そのうちの2600キロが政府の鉄道で、5200キロが民間鉄道会社の路線だった。この翌年(1906年)からは国の政策によって鉄道の国有化が急速に進められるようになる。(数値は、日本銀行統計局『明治以降 本邦主要経済統計』1966による)

社会のさまざまなサービスをつくり出す存在として、やはり政府も重要である。しかし、時代の先端をきりひらく、本当に新しいサービスを生み出す主役は、やはり会社などの民間の組織だ。

鉄道も、かつては新しいサービスだった。それを世界で最初に生み出したのは、政府ではなく株式会社だった。このように「公共的」と思われるサービスでも、そうなのである。そして、そのような会社に特別な大金持ちだけなく、さらに広範囲の人たちも出資していたのである。

会社とは「社会に必要なサービスを提供するために、人びとが自らつくりだしたもの」だ。

現代の先進国では、1700~1800年代のイギリス以上に「会社をつくること」も「会社に期待して出資・投資すること」も、ずっと幅広い人たちが行えるようになっている。会社をつくることや、それを出資などで支援することは、これからもますます盛んに行われるだろう。

それが「近代社会」というものだ。多くの人びとによるさまざまな実験や挑戦が可能な社会。参加する人たちがそれぞれの利益を追求しながら、公の利益も実現される(いつもそうできるとは限らないが、少なくともそれが可能である)。そのための社会的な制度が機能している。株式会社は、そのような近代的な制度の代表的なものである。

人びとが資金を出しあって有料道路会社をつくった1700年代のイギリスは、本格的な近代社会の先駆けだった。世界史のなかでこれまでになかったタイプの社会が、当時の西ヨーロッパの一画に、はっきりと姿をあらわしたのである。

 

参考文献

「近代社会とは何か」を考えるうえで、本ブログのつぎの記事も。 

 

イギリスの鉄道の総延長、日本の鉄道の総延長については、下記に基づく。①②は図書館でみるとよいだろう。③は、統計に関心のある人は手元に置くとよいかと。

①B.R.ミッチエル『イギリス歴史統計』原書房、1995年

イギリス歴史統計

イギリス歴史統計

 

 ②日本銀行統計局『明治以降 本邦主要経済統計』1966年(1999年復刻版あり) 

明治以降 本邦主要経済統計

明治以降 本邦主要経済統計

 

 ③『数字でみる日本の100年 第6版』矢野恒太記念会、2013年 

数字でみる日本の100年―日本国勢図会長期統計版

数字でみる日本の100年―日本国勢図会長期統計版

 

 

イギリスの鉄道会社、運河会社、道路会社については、下記による。とくに④はこの記事のメインの資料であり、多くを負っている。有料道路会社のことは、一般的な日本語の歴史書にはなかなか出てこない。⑤は美しい図版の歴史地図で、イギリス史の参考書としておすすめ。本記事の理解が深まるイギリスの鉄道網・運河網・有料道路網の地図などがある。これも図書館で。

④湯沢威「一八世紀イギリスの有料道路・河川・運河経営」『商學論集』福島大学経済学会、巻45、1976年5~7月

⑤マルカム・フォーカス、ジョン・ギリンガム『イギリス歴史地図』東京書籍、1983年 

イギリス歴史地図 (1983年)

イギリス歴史地図 (1983年)

 

 (以上)