世界史を学ぶためには、ある程度の地理の知識が必要だ。世界地理の感覚が全然ないと、やはり世界史はわからないし、楽しめない。くわしい知識は要らないが、「ヨーロッパってどこだっけ?」「ユーラシアって何?」「西アジアって?」ということばかりだと、世界史の話がイヤになる。
目 次
- 地域区分の発想
- 世界史の地域区分
- 地域区分の世界地図
- 地名の整理箱
- ① 西ヨーロッパ(西欧)
- ②東ヨーロッパ(東欧)
- ② 西アジア
- ④中央アジア
- ⑤南アジア
- ⑥東南アジア
- ⑦東アジア
- ⑧アフリカ(サハラ以南)
- ⑨北アメリカ(北米)
- ⑩ラテンアメリカ(中南米)
- ⑪オセアニア
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地域区分の発想
世界史を学ぶための地理としては、「世界全体をいくつかの地域に分ける」という、地域区分の考え方が重要である。ここで「地域」というのは、いくつもの国を含むような広い範囲のことだ。世界の国ぐにを地理的にいくつかのグループにまとめたのが、「地域区分」である。たとえば、「ヨーロッパ」とか「西アジア」というのは、そのような地域区分のことだ。
なぜ、そこをひとつの「地域」だと考えるのか? 歴史的にその地域内の国ぐにや民族のあいだで、とくに深い交流があったからである。
この「交流」というのは、平和的なものだけでなく、戦争も含む。場所・時代によっては、その地域のほぼ全体が、ひとつの大きな国として統一されていたケースもある。その結果として、「地域」のなかでは、ほかの地域と区別される共通の要素がいろいろとみられる。
たとえば、長いあいだ密接な関係を続けてきた中国、日本、韓国・朝鮮は、ひとつの「地域」だといっていい。これらの国ぐにのあいだでは、漢字のような、よその地域にはない共通の文化もいろいろある。ここは、「東アジア」と呼べばいいだろう。
このような、複数の国を含むまとまりが世界にはいくつかある。また、大きな川や山脈や砂漠などが、地域を分ける自然の境目になっていることもある。
世界史の地域区分
では、世界はどのような「地域」に分けられるのか? おおざっぱな区分を、つぎに示す。
①西ヨーロッパ ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、北欧諸国など
②東ヨーロッパ ロシア、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ウクライナ、ルーマニアなど
③西アジア イラク、イラン、トルコ、サウジアラビア、シリアなど。エジプト、アルジェリアなど北アフリカも含む
④中央アジア カザフスタン、アフガニスタンなど
⑤南アジア インド、パキスタン、バングラデシュなど
⑥東南アジア ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど
⑦東アジア 中国、日本、韓国・朝鮮など
①~⑦の地域とはちがう観点の、別扱いの範囲もある。まず、ユーラシア大陸のやや高緯度の、草原や砂漠などが広がる乾燥した地域。これは「乾燥地帯」と呼ぼう。
それから、さらに北方の、一年の長い期間が雪と氷に覆われる世界。これは「寒冷地帯」と呼ぶことにする(いずれも、本記事でのとりあえずの呼び方)。これらは人口密度の低い地域である。とくに寒冷地帯は、より無人に近い。
以上の西ヨーロッパから東アジアまで(ヨーロッパ+アジア)を含む範囲を、「ユーラシア(ユーラシア大陸)」という。ただし、エジプトなどがあるアフリカの北部(サハラ砂漠より北側)も「西アジア」の一部として、ここではユーラシアに含む。
ユーラシアとアフリカ(サハラ以南も含む)をあわせて、「旧世界」ともいう。ヨーロッパ人にとって「古くから知られている地域」という意味である。
これに対し、「新世界」というのもある。南北アメリカ大陸、オーストラリアなどのオセアニアをまとめて、そう呼ぶのである。ヨーロッパ人が大航海時代(1400~1600年代)以降に「新しく知った地域」ということだ。その大部分は比較的新しい時代になって、人が多く住むようになったり、本格的な国ができたりしている。
じつは、「旧世界」「新世界」という呼称は、最近はあまり使われない。しかし、区分として一定の意味はある。
新世界の地域区分はつぎのとおり。(サハラ以南のアフリカも、本格的に国ができたのが遅かったので、こちらに並べる)
⑧アフリカ サハラ砂漠以南のアフリカ諸国(一般には「旧世界」に含まれる)
⑨北アメリカ アメリカ合衆国、カナダなど
⑩ラテンアメリカ 中南米ともいう。メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、チリなど。メキシコなどの「中米」と、ブラジルなどの「南米」に分けられる。
⑪オセアニア オーストラリア、ニュージーランドなど。
地域区分の世界地図
これらの地域の区分を世界地図に落とすと、次のようになる。また、いくつかの「海」についても知っておこう。「地中海」「大西洋」「インド洋」「太平洋」などである。
世界史の地域区分(そういちの著作『一気にわかる世界史』より)
下の図は、上記の地域区分を図式化したものだ。「カンタン世界地図」とでも名付けよう。このように単純化してイメージすることも大事である。
カンタン世界地図(『一気にわかる世界史』より)
地名の整理箱
地域区分は、「どう分けるか」について、さまざまな見解がある。「これだ」という決定版があるわけではなく、ここで示したものも、ひとつの考え方にすぎない。それでも、入門としては十分役立つだろう。
それから、こういう区分ではこまかいことは気にしなくていい。各地域のおおまかな位置や範囲のイメージが持てればいいのである。ただ、そこに含まれる代表的な国は、いくつかおさえておきたい。たとえば「西ヨーロッパ」であれば、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどがある、といった具合である。
また、世界のところどころには、どちらの「地域」に含めるべきか迷うような微妙な場所もある。「地域区分」というものは、そこを承知であえて線引きをしているのだ。
地域区分は、いわば「地名の整理箱」である。それは、世界史をイメージしやすくする道具のひとつなのだ。たとえば、「シリア」という地名が話にでてきだけど、よく知らなかったとする。でも、地域区分の知識があると、「それは西アジアだ」といわれればだいたいの位置がわかる。
さらに知識があれば、「西アジア」全般に通じる特徴をいくつか思いつくだろう。乾燥した気候、イスラム教徒が多数派であること等々……そういうイメージがあると、世界史の話はアタマに入りやすくなる。
以下、各地域の歴史的な特徴・経緯を、ごく簡単に述べておく。
① 西ヨーロッパ(西欧)
ユーラシアの西側の、キリスト教徒が多数派である地域がヨーロッパ。さらにキリスト教のうちカトリックとプロテスタントという宗派が主流なのが西ヨーロッパである。おもに西ローマ帝国(ローマ帝国の西半分)だった地域であり、西暦400年代の西ローマ帝国の滅亡のあと、1000年頃までにイギリス、フランスなどの今の主要国のもとになる王国が成立。1500年頃以降、近代社会の基礎となる技術・制度などが発達して台頭。1700年代後半にイギリスではじまった産業革命を経て、世界のなかでの優位を確立した。その後1900年頃までには、イギリスなどが世界各地を植民地として支配するようになるが、第二次世界大戦(1945終結)以降は、植民地の多くを失った。第一次世界大戦(1914~18)と第二次世界大戦(1939~45)は、西ヨーロッパ諸国のあいだの対立がおもな原因で勃発した。その反省に立って大戦後は「ヨーロッパ統合」をめざす動きが進み、1990年代にはEU(ヨーロッパ連合)が発足。
②東ヨーロッパ(東欧)
キリスト教のうち東方正教という宗派が主流なのが東ヨーロッパ。ポーランドなどカトリックが主流の地域も大きな比重を占める。本記事の分類ではロシアも含む。東ローマ帝国(ローマ帝国の東半分)などの周辺の影響を受け、1000年頃までに今の主要国につながる王国が形成された。その後は多くの国が西ヨーロッパのドイツやオーストリア、地域内で有力なロシアの影響を受けた。南部のバルカン半島にはイスラム勢力も進出。1900年代後半には、ロシアを中心とするソヴィエト連邦(ソ連)が多くの東欧諸国を従え社会主義の陣営(東側諸国という)を形成してアメリカや西ヨーロッパ(西側諸国)と対立した。1990年頃にソ連が崩壊して以降は「西側」との関係が深くなっている。
② 西アジア
イスラム教(600年代に創始)が主流。本記事ではサハラ砂漠以北のアフリカも含む。「西アジア」と、「アラブ」「中東」がさす地域は大きく重なっている。ただし「アラブ」という場合は、トルコ(アナトリア)やイラン(ペルシア)を含めないことが多い。5000~4000年前頃の文明のはじまりの時代からさまざまな国が栄え、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はこの地域で生まれた。700年代に地域のほぼ全体を支配するイスラム帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝)が成立し、800年代に帝国が分裂して以降は各地でイスラムの国ぐにが興亡。1600~1700年代には、トルコを中心にオスマン帝国が繁栄。1900年代前半に第一次世界大戦の影響でオスマン帝国が崩壊した結果、今のアラブ諸国が形成された。
④中央アジア
草原地帯がかなりの比重を占め、紀元前1000年頃から騎馬遊牧民が活動。900年頃以降にイスラム化が進んだ。この地域を拠点とする騎馬遊牧民のうちイスラム教徒となったいくつかの集団(トルコ人など)は、西アジア、インドに侵入して王朝を築くなど、大きな影響をあたえた。1900年代後半にはカザフスタンなど地域の大部分の国がソ連の一部だった。
⑤南アジア
インドを中心とする文化圏。仏教はこの地域で生まれたが、主流であり続けたのはヒンズー教である。2300~2200年前にマウリア朝が最初の統一王朝(地域の大半を支配する王国)となったがその後短期間で崩壊するなど、中国にくらべると分裂の時代が長い。西暦1200年頃からは北部でイスラム王朝が成立(パキスタンとバングラデシュはイスラム教が主流)。1600年代には、ムガル帝国がインド全体を統一して繁栄したが、1800年代にはイギリスの植民地に。その後第二次世界大戦(1945終結)直後にインド・パキスタンが植民地支配から独立した。
⑥東南アジア
中国とインドの影響を受けて国家形成がはじまり、400年ころからはとくにインドの影響が大きい。ただしベトナムは中国と隣接しており、中国の影響が大きい。1100年代にはこの時期にアンコール・ワット(石造の大寺院)を築いたカンボジアの王朝が繁栄。1400年頃からはイスラム教も重要となる。1800年代から第二次世界大戦のころまで、多くの国がヨーロッパ諸国の植民地支配を受けた。多くの国が第二次世界大戦の直後に独立。1970~1980年代からは、マレーシア、タイなどで工業が発展。
⑦東アジア
おもに中国・朝鮮半島・日本をさす。中国発祥の漢字、儒教などの共通の文化がある。中国では4000年前頃から黄河流域などで文明が栄えはじめ、2200年前ころに最初の統一王朝・秦が成立した。中国では以後さまざまな王朝(漢・唐・宋・元・明・清など)が繁栄。日本は300~600年頃に今の日本の基礎となる国家を形成。朝鮮半島や日本は中国の諸王朝の影響をつよく受けた。1900年頃には近代化をすすめる日本が台頭し、第二次世界大戦のころまで朝鮮半島、台湾、中国の一部を支配。また日本は第二次世界大戦において、中国各地や東南アジアへの侵攻を行い、敗退した(日中戦争、太平洋戦争)。第二次世界大戦後、朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分断。第二次世界大戦後は、経済大国となった日本をはじめとして、工業が発展。1970年頃から韓国の経済発展がはじまり、1990年頃以降は中国の経済発展が著しい。
⑧アフリカ(サハラ以南)
本書ではサハラ砂漠以南をさす。国家の形成はユーラシアよりも遅れた。ただし、ナイル川上流(今のスーダン)では紀元前900年代から王国が成立。西アフリカの一部では西暦700年ころから王国が栄えるなど、いくつかの地域で国家が発展した。900~1000年代からは西アフリカと東岸(インド洋側)の地域でイスラムの影響が強くなった。1500年頃からスペイン・ポルトガルなどの侵入を受け、1800年代には地域の大部分が西ヨーロッパ諸国の植民地となった。1950~1960年代に多くの国が独立した。
⑨北アメリカ(北米)
先住民による本格的な国家は発達せず、1600年代以降、イギリスなどのヨーロッパからの移民が中心となってアメリカ(合衆国)とカナダの基礎を築く。アメリカ(当時は東部13州)は1700年代末にイギリスから独立し、1800年代半ばには西海岸まで領域を拡大。1800年代末にはアメリカは世界最大の工業国となり、第二次世界大戦以降は圧倒的な大国として、今も世界に影響を与えている。
⑩ラテンアメリカ(中南米)
中米(メキシコ周辺)でマヤ・アステカ、南米(チリ周辺)でインカなどの先住民による文明が栄えたが、1500年代にスペイン人によって征服された。地域の大部分がスペインとポルトガル(いずれも「ラテン系」といわれる国)の植民地となり、1800年代前半には現在につながる多くの国が独立した。1900年代前半までは西ヨーロッパや北アメリカに次いで産業・経済が発達していたが、その後産業の発展は先進国に比べて遅れた。
⑪オセアニア
先住民による国家は未発達で、オーストラリアは1700年代末にイギリス領となり、植民地の建設がはじまった。ニュージーランドは1700年代から植民がはじまり、先住民との抗争を経て1800年代半ばにイギリス領に。新世界のなかでヨーロッパ人による開拓が最後に行われた地域。オーストラリア、ニュージーランドとも1900年代前半にイギリスから独立した。
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2024年2月発売の最新の著作(下記の親本を改訂・増補した文庫版)
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(以上)