楷書・行書・草書
漢字の書体で、私たちがまず習うのは楷書(かいしょ)という、字画を略したり続けたりせず、きちんと書く書体です。そのような「きちんとした公式な書体」のことを「正書体」といいます。私たちが役所などに出す公的な書類は、楷書で書くことになっています。
楷 書
そして、正書体よりもやや崩れた書体である行書(ぎょうしょ)や、さらに流れるような書体の草書(そうしょ)というものもあります。
草書(左)・行書(右)
私たちが書道を学ぶときには、まず楷書を習って、それから行書や草書を習うのが一般的です。
では、楷書・行書・草書が生まれた歴史的な順序は、どうだったと思いますか? ぜひ、予想を立ててみてください。
まず隷書ありき
なお、予想を立ててもらう前に、説明しておくべきことがひとつ。それは隷書(れいしょ)のことです。
今から2000年ほど昔、秦・漢の時代の中国では、隷書という古いタイプの書体が正書体でした。楷書とくらべるとやや横長の平べったいかたちで、楷書のような右上がりではありません。また、線に強弱をつけないなど、楷書とは筆づかいがかなりちがいます。
隷 書
隷書は、特別な関心を持つ人以外は習わない、今の私たちにとってはなじみの薄い書体です。
しかし、楷書・行書・草書は、隷書をもとにして生まれました。「まず隷書ありき」ということです。
【問題】漢字の書体が生まれた順序は?
では、漢字のさまざまな書体が生まれた歴史的な順序はどうだったのか? 選択肢で考えてみましょう。
(予想)
ア.隷書→楷書→行書→草書の順
イ.隷書→草書→行書→楷書の順
ウ.その他
自分なりに予想を立ててから、下の「解答」へすすんでください。
【解答】
かなりの人は、まず隷書から楷書という新しい正書体が生まれ、それを行書→草書と崩していったと思うのではないでしょうか?
ただし、あらためて「問題」として出されると、別の可能性も考えるかもしれません。しかし、そうでなければ多くは、ばくぜんとア.だと考えるのでは?
ところが、じつはア(楷書が先)ではないのです。
隷書以後は、まず隷書を崩した早書きの書体として草書が生まれました。初期の草書は、隷書とほぼ同時代に成立します。またその後、草書を公式化する方向で、字画を草書よりもきちんと書く、行書が発達しました。
そしてその後に、行書からさらに公式化をすすめた初期の楷書が成立し、それが唐の時代に完成・確立したのです。
つまり、隷書→草書→行書→楷書という順序です。答えはイ。
隷書誕生の経緯
この歴史的経緯について、より具体的に説明しましょう。
秦の始皇帝による統一以前の戦国時代(紀元前400年代~紀元前221)には、篆書(てんしょ)という書体が主流でした。篆書は、現代も印鑑で用いられます。篆書は、紀元前1300年頃に生まれた漢字の原型である甲骨文字が長い歴史の末に到達したもので、初期の漢字のあり方を代表しています。
そして、隷書は、秦の時代に篆書を簡略化して生まれたものです。素早く書けるようしたわけです。
隷書が生まれた頃の中国では、始皇帝による統一で、かつてない巨大な国家が生まれ、それを統治する行政の組織が発達しました。その結果文書も増えたので、隷書という、より簡略な書体が求められたのです。
この経緯をもう少し述べると、戦国時代の漢字は、地域ごとに字体の違いがあり不統一でした。そこで始皇帝は、統一以前からあった篆書である大篆(だいてん)を簡略化して、小篆(しょうてん)という全国統一の書体を用いることにしました。その小篆をさらに整理して、隷書ができたのです。
文字の統一と新しい書体の創造は、始皇帝がすすめた度量衡(長さや重さなどの単位)の統一と並行して行われたものです。
なお、隷書のやや平べったい形状は、秦の時代には紙がまだ存在せず、竹や木を薄く・細く切った板(竹簡・木簡)に文字を書いたことが影響しています。紙を用いた場合よりも限られたスペースで、竹や木の硬い表面に書くには適した形状だったのです。
秦の統一を受け継いだ漢王朝(前漢・紀元前206~西暦8、後漢・25~220)でも、隷書は正書体として用いられ、さらに発達しました。しかし、その一方で、早書きのために隷書を簡略化するという動きもあったのです。漢の時代には、社会の発展にともなう文書の増大が一層すすみました。それに対応して、草書という書体が発展しました。
紙の発明・「書」の確立
そして、西暦100年代(後漢の時代)には、竹簡・木簡にかわって紙という新しいメディアが登場しました。紙は、原型となるものは紀元前100年代にもありましたが、西暦100年代に改良されてから普及がすすみました。紙が普及し始めた当初、公式の書類は紙ではなく、依然として竹簡・木簡に書くことが多かったのですが、やがて紙がとって替わりました。
そして、漢王朝がすっかり衰退したあとの分裂時代である魏晋南北朝時代(西暦200頃~589)の中国では、紙が記録メディアとして定着します(世界のほかの地域に紙が普及するのは後のこと)。
筆と紙と墨で文字の美を追求する、高度な文化としての「書」が確立したのは、魏晋南北朝時代のことです。
この時代は、政治的な混乱は続きましたが、活気を帯びた面もありました。経済が発達して都市が繁栄し、そこでさまざまな文化が花ひらいたのです。
王羲之の時代
「書聖」(究極の書道家)と崇められる、王羲之(おうぎし、303~361)が活躍したのは、魏晋南北朝時代の西暦300年代のことです。王羲之は中国南部(江南)を支配した、東晋という王朝の高官でした(当時は専門の芸術家としての書道家というのものはまだ存在しない)。
王羲之の代表作で「蘭亭序(らんていのじょ)」という、28行、324文字からなる作品は、行書体で書かれています。
王羲之の時代、彼や同時代の書家たちは、行書や草書を軸に、書の新しい世界を切りひらく探究を行いました。王羲之は、草書による手紙の数々も残しています。
前に述べたように、草書の原型は、隷書が生まれた秦の時代にすでに成立していました。初期の行書は、後漢の時代の西暦100年代半ばに成立しました。そしてその後、200年頃(漢の末期から魏晋南北朝の初め)に初期の楷書が生まれたのです。ただし、この頃の楷書は未熟で、まだ隷書に近いものでした。
王羲之を代表とする魏晋南北朝の書家たちによって、草書・行書・楷書は磨きあげられていきました。そして、その動きのなかから、バージョンアップした正書体としての楷書が確立していったのです。
唐初期の書家による確立
魏晋南北朝の分裂時代は、500年代末の隋による統一で終わります。隋は短命に終わり、唐王朝(618~907)が統一を受け継ぎました。
600年代、唐の猪遂良(ちょすいりょう)、王陽詢(おうようじゅん)といった書家は、王羲之的な書をさらに編集・整理して、のちの書の源流となるスタンダードを築きました。そして、こうした唐の初期の時代の書家によって、楷書の書体が確立したのです。楷書以降、新しい漢字の書体は生まれていません。
以上の経緯について、書の歴史の研究者・富田淳さん(東京国立博物館)はこうまとめています。
“現在は新出土資料から、楷書の萌芽は三世紀の初頭と考えられている。しかし、現存する肉筆資料から知られる楷書の字姿は、五世紀においてもなお隷書の名残りが大きい。六世紀は隷書から楷書への移行期、そして七世紀になると、(楷書は)隷書から独立した点画を理知的に構成するようになり、ここにようやく楷書の表現が完成する”(東京国立博物館・特別展「書聖 王羲之」図録82ページ、2013年)
なお、楷書という呼び方はのちの宋の時代(最盛期1000年頃)に普及したものです。それ以前には楷書のことは「隷書」または「真書」「正書」と呼ぶのが一般的でした。これは、楷書が「隷書をバージョンアップした新しい正書体」として生まれたものだったからでしょう。
歴史を考える哲学的視点からも興味深い
以上、楷書というのは、一見したところ「出発点」のようにみえて、じつは「到達点」だったというわけです。
このような楷書誕生の経緯のように「実際の経緯が、ぱっとみて連想するのとはちがう」というのは、歴史上の現象においてときどきあるのではないでしょうか(たとえばどんなことがあるのかは、また長い話になってしまうので、ここでは立ち入りません)。
そして、楷書の歴史をみていると、私は哲学者のヘーゲルなどが説く弁証法的な「正→反→合」の発展過程のことを思い出します。
つまり、まず「正」という出発点がある。つぎにそのアンチテーゼである、対極的な方向への展開があるが(「反」)、さらにつぎの段階ではまた出発点の「正」の方向へ戻ってくる。しかし、それは出発点にそのまま戻るのではなく、これまでの過程をふまえた進歩があり、一段と高い次元にバージョンアップしている(「合」)。
歴史上のものごとの展開には、こういう経緯をたどることが、かなりみられるということです。たしかに、いつもそうとはかぎりませんが、とくに歴史を大きな視点で、長期の流れで捉えたときには「正→反→合」的な展開はよくあることではないか、と私は思います。
漢字の書体の歴史の場合は、「正」にあたるのが隷書で、「反」は草書、そして「合」へと向かう過程に行書があり、到達点である「合」が楷書です。
「正→反→合」の発展過程の事例として、楷書誕生の経緯は、まさに典型的です。そういう、歴史を考える哲学的な視点からも、漢字の書体の歴史というのは興味深いと思います。書道の世界の知識だけにとどめてはもったいないです。
参考文献
①石川九楊『漢字とアジア』ちくま文庫(2018)
②阿辻哲次『漢字の社会史』吉川弘文館(2012) 但し本記事ではPHP新書版(1999)を用いた
③「書聖 王羲之」展 図録 東京国立博物館(2013)
2024年2月発売の拙著。世界史の大きな流れ・通史を初心者向けに述べた本です。
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